今週のみことば


2月27日


「ナオミの夫エリメレクの一族には一人の有力な親戚がいて
その名をボアズといった
モアブの女ルツがナオミに
『畑に行ってみます
だれか厚意を示してくださる方の後ろで、落ち穂を拾わせてもらいます』
と言うと、ナオミは
『わたしの娘よ、行っておいで』と言った
ルツは出かけて行き、刈り入れをする農夫たちの後について落ち穂を拾ったが
そこはたまたまエリメレクの一族のボアズが所有する畑地であった」
(ルツ記2章1-3節)

夫と二人の息子を亡くしたナオミは
モアブ出身の嫁ルツと一緒にユダのベツレヘムに帰ってきました
イスラエルのことは何もわからないルツでしたが
彼女はとりあえず落ち穂拾いに出かけようと決意します
そして入っていった畑は
一族の有力な親戚ボアズの所有地でした

そこへちょうど視察に訪れていたボアズは
落ち穂を拾うルツの姿を見つけて
召使に彼女は誰かと尋ねます
その後、ボアズはルツが働きやすいように色々と配慮したので
その親切にルツは驚きました

ボアズは答えた
「『主人が亡くなった後も、しゅうとめに尽くしたこと
両親と生まれ故郷を捨てて、全く見も知らぬ国に来たことなど
何もかも伝え聞いていました
どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように
イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れてきたあなたに
十分に報いてくださるように』」(11-12節)

こうしてルツは
思いがけずボアズの厚意を受けることとなったのです

ルツがその日一日働いて得た大麦を持ちかえると
ナオミはその量があまりに多いことに驚き
なおかつ食べ物までもらって帰ったので
一体誰の畑で働いてきたのかとたずねました
ルツがその人の名はボアズだと告げると
「その人はわたしたちと縁続きの人です
わたしたちの家を絶やさないようにする責任のある人の一人です」(20節)

と、ナオミは言いました
ルツはナオミから何も教えられていないのに
いつの間にかそのような人の畑に入っていたのです
おかげでルツは
麦の刈り入れが終わるまでずっとボアズの畑で働くこととなり
その間いじめられることも、食べ物に不自由することもありませんでした

ベツレヘムに帰ってきた時には
傷心のあまり「全能者がわたしをひどい目にあわせた」と嘆いたナオミも
知らない土地で前向きに生きようとするルツを送り出したその日
ルツとボアズとの不思議な出会いに驚き
「わたしの娘よ、すばらしいことです
あそこで働く女たちと一緒に畑に行けるとは
よその畑で、だれかからひどい目に遭わされることもないし」(22節)

と言って喜びます

ナオミからモアブの地に帰ることを勧められても
「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神」
と言ってついてきたルツのことをボアズは知っていました
ボアズはキリスト誕生にいたる系図に属する人で
「救い主」のひな形でもありますから
ルツの心がけや
目立たないけれど良い行いをしてきたことは
ちゃんと神に知られているということです

そんなルツは
知らないうちに神の恵みの中を歩まされていきました
そのように、神は一人一人を見て下さっていても
見ていないと思う人にはそれがわかりません
人生は毎日の一歩一歩の積み重ねで
その歩みが人生を大きく左右するわけですが
そこに人間的な思い(絶望)を入れれば歩みもとどまってしまうので
とにかく前を向いて進むことが重要です

ルツはモアブの女ですから
結婚するまではモアブ人の信仰をしており
イスラエル人との結婚によりイスラエルの神を信じるようになりました
そしてナオミについてベツレヘムに帰った時
この不思議な巡り合わせの恵みを体験し
神によって幸いがもたらされることを
自分の身をもって知っていくのです
一方ナオミも
ベツレヘムに帰ってくることで恥をかいたように思えますが
彼女もまた神の働きを体験し
本当の意味で「神を知る人」となるのでした

自分の人生は一体何なのかと
人生を犠牲にしたようなところを通されることがあったとしても
すべてのことを愛をもって報いてくださる神を信じていく者は
その先の祝福(救い)を見ることができるのだと
ルツの身に起こる出来事は教えてくれるのです

「神は羽をもってあなたをおおい
翼の下にかばってくださる
神のまことは大盾、小盾
夜、おびやかす者をも、昼、飛んでくる矢をも
恐れることはない」
(詩篇91篇4-5節)


どんなところに置かれても
必ず助け守り導いてくださる神がある
そう信じて歩むこの信仰生活において
わたしたちは神の畑にまかれた種として成長しなくてはなりません

「神の畑」とは各々が置かれている場所をいい
そこでは皆するべきことがあるわけですが
思うように行かない事をブツブツ言っていても仕方がないので
とにかく前を向いて進みだしましょう

一章ではナオミは神に恨みごとを言っていますが
元はと言えば夫エリメレクがモアブに出て言った事が間違いだったわけで
かといって神はそれをとやかく責めているわけでもありません
神は愛の方であり
人の弱さをよく御存じだからです

一時的には辛く厳しい所を通されても
神は決して人に悪いようにされるわけでなないと信じ
そこを通ることで神の救いを見ることのできる人は幸いです

「わたしたちはこのような希望によって救われています
見えるものに対する希望は希望ではありません
現に見ているものをだれがなお望むでしょうか
わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら
忍耐して待ち望むのです」
(ローマ人への手紙8章24-25節)

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し
見えない事実を確認することです」
(ヘブル人への手紙11章1節)


今どういうところに置かれていても
”イエスによる救い”に望みをおいて
先への希望をつなぐことが信仰です

ボアズは当時、一族に属する人の家を絶やさない責任のある人でした
そしてこの後、ボアズはその役目を果たします
ルツも
神の試練のうちにあって
自分のなすべきことを一歩一歩進めていきました

その先に何が待っているかわからなくても
自分の思い描く理想ではなく
神が開いてくださる道を良しとして受け入れ進む
どんな時も神を見上げ、前を向いて一歩一歩進む
その一歩が人生を幸いに変えるのです



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