今週のみことば


3月5日


「ボアズは言った
『わたしの娘よ。どうかあなたに主の祝福があるように
あなたは、若者なら、富のあるなしにかかわらず
追いかけるというようなことをしなかった
今あなたが示した真心は、今までの真心よりまさっている
わたしの娘よ、心配しなくていい
きっとあなたが言う通りにします
この町のおもだった人は皆
あなたが立派な婦人であることをよく知っている
確かにわたしも家を絶やさぬ責任のある人間ですが
実はわたし以上にその責任のある人がいる
今夜はここで過ごしなさい
明日の朝その人が責任を果たすというならそうさせよう
しかし、それを好まないなら、主は生きておられる
わたしが責任を果たします
さあ、朝まで休みなさい』」
(ルツ記3章1-13節)

ある日ナオミはルツに言いました
「わたしはあなたが幸せになる落ち着き先を探してきました」(1節)
そこで彼女はルツに、その夜、自分の身をきれいにしてボアズのところへ行き
彼が眠ったら、その衣のすそで身をおおって休むように勧めます
ルツはナオミに言われたとおりに実行しますが
夜中にルツの存在に気づいて驚くボアズにルツは言いました
「どうぞあなたの衣のすそを広げて、このはしためをおおってください
あなたは家を絶やさぬ責任のある方です」(9節)


ボアズはイスラエルの風習である「贖い人」として
親族の家を絶やさないようにする責任を負う人でした
そのボアズにナオミはルツの将来をゆだねようとしたわけです
そして、姑の言うことに従って行動したルツに
ボアズは心をかけ、安心するようにと告げたのでした

そもそも、モアブの女でありながら
姑についてイスラエルまでやってきたルツのことは
みんながよく知っており
彼女がこれまで姑に尽くしてきた真心と共に
今回こうしてボアズに自分の身をゆだねてきた真心を
ボアズは喜んで受け入れます
ただし
「贖い人」としての責任を果たすべき立場の人が他にもいるので
明日その人と交渉するのを待つように告げられ
ルツはナオミのところへ帰りました

ボアズから大麦のお土産を持たされて帰ってきたルツに
ナオミは言いました
「わたしの娘よ。成り行きがはっきりするまでじっとしていなさい
あの人は、今日中に決着が着かなければ、落ち着かないでしょう」(18節)

ナオミが夫と二人の息子を亡くして
傷心のうちに嫁のルツと共にベツレヘムに帰ってきたこと
その時がちょうど大麦刈りの時期で、落ち穂拾いの仕事ができたこと
ルツが知らないうちに「贖い人」のボアズの畑に入っていたこと
その時ちょうどボアズが畑を視察に来ており
ルツを見つけて彼女に心をかけたこと
それら一連のことはすべて神のご計画によるものでした
その不思議なめぐり合わせに神の恵みを感じたナオミは
更に神のご計画が進む方へと動きます
これは決してナオミの人間的な策略ではなく
神がナオミに働きかけ、そのように導かれたのでした

「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ
行わせておられるのは神であるからです」
(ピリピ人への手紙2章13節)


こうして自分たちのなすべきことを終えたナオミはルツに
「成り行きがはっきりするまでじっとしていなさい」
と言っています
ここは文語訳では
「姑いひけるは女子よ坐して待ち事の如何になりゆくかを見よ」
と記されていますが
”坐して待つ”とは”祈って待つ”ということ
いろいろ不安はあるとしても
神は必ず助けてくださるとの希望をもって今は忍耐する時だということです

「神の御心を行って約束されたものを受けるためには
忍耐が必要なのです」
(ヘブル人への手紙10章36節)


神と共に試練を乗り越えていく”忍耐”は、”がまん”ではありません
そこには必ず神が働くとの証(あかし)があって
それによってわたしたちは本当の神の力を知ることができるのです
真実の神は目には見えませんが
助けを求める人を必ず救ってくださる方であり
その神の力を信じるものは
この事がどうなっていくのかを神にゆだねることが大切です

「主に信頼し、善を行え
この地に住み着き、信仰を糧とせよ
主に自らをゆだねよ
主はあなたの心の願いをかなえてくださる
あなたの道を主にまかせよ
信頼せよ、主は計らい
あなたの正しさを光のように
あなたのための裁きを
真昼の光のように輝かせてくださる」
(詩篇37篇3-6節)


人生には色んな試練があって
そこから逃げ出したくなることもあるでしょう
それでもわたしたちは”置かれた場所”で神の助けを求め
自分のするべきことをなしたら
その行方を忍耐をもって祈って待ちます

こうして忍耐の時を神と共に過ごすのは
その人の人間性や品格を高めるために必要なことであり
神にある品性や真心を持っている人は
世の中にあっても信用されるでしょう

このような神の教育は一瞬で成されるものではないため
わたしたちはしばしば厳しい所に置かれるかもしれません
それでも、どんなところでも、道は必ず開けます
実際にこれまでもそうして助けられてきたのではないでしょうか

それでも人間は弱いので
”恐れ”がくると信仰も揺らいでしまいがちです
この人生の根本となるところの信仰が揺らぐと
問題に対処するのも非常に難しくなりますから
そこには必ず神の働きがあることを忘れないで
自分になされた神の証を思い出し
感謝して進んで行きましょう



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