今週のみことば


3月26日


「わたしはこの子を授かるようにと祈り
主はわたしが願ったことをかなえてくださいました
わたしはこの子を主にゆだねます
この子は生涯、主にゆだねられた者です」
(サムエル記上1章27-28節)

エフライムの部族の中にいた「レビ人」のエルカナには二人の妻があり
そのうちのペニナには子どもがいましたが、ハンナにはいませんでした
ハンナのことを敵視しているペニナは、このことでハンナを常に苦しめており
そのいじめがあまりにもひどいので
ある時、神殿で泣きながら祈りました
その祈りの中でハンナは
自分に男の子が授かることを願い
もしそうなったらその子は神にささげると誓うのでした

長い間祈っているハンナの姿を見て酒に酔っていると勘違いした祭司エリは
彼女に『酔いをさましなさい』と失礼な事を言っています
そこでハンナはエリに自分は酔っているのではなく
神に対して自分の苦しみを訴えているのだと告げると
エリは
『安心して帰りなさい。イスラエルの神があなたの乞い願うことをかなえてくださるように』
と答えました
その答えを聞くとハンナは平安を得て帰っていき
その後、彼女は身ごもって男の子を産み、サムエルと名付けました
ハンナはサムエルが乳離れするのを待って
本当に祭司エリの元に連れて行き
約束どおりサムエルの生涯を神にゆだねたのです

かつてハンナがエリの前で祈っていた時
彼女は非常につらい状況にあり
神の前に”心からの願いを注ぎ出して”祈っていたと記されています
その姿は祭司からは”酒に酔っている”と誤解されていますが
神は”心を見る”方なので、彼女の願いをかなえてくださいました
神はハンナの心がひどく苦しんでいて
神に心から助けを求めている彼女の信仰をご存知だったのです

「しかし主はサムエルに言われた
『容姿や背の高さに目を向けるな
わたしは彼を退ける
人間が見るようには見たい
人は目に映ることを見るが、主は心によって見る』」
(サムエル記16章7節)


これは当教会の今年の「年頭のみことば」ですが
信仰とは、その見かけの熱心なスタイルよりも
常に心が問われているのだと知ることが大切です
派手な、見せる祈りが神に喜ばれるのではなく
本当に神を信頼しているのかどうか
本気で自分の人生を神にゆだねる覚悟でいるのかどうか
心の奥深いところまで見られているということです

本当に神を信じるハンナは
子どもを神にささげ、その生涯を神にゆだねる(おまかせする)ことを決意し
その通りに実行しました
わたしたちの人生も
自分で考え、自分で計算し、結局思うようにいかないとイライラするよりも
すべてを神にゆだねて行くことが幸いです
一番力がないように見える「祈り」というものが、実は一番強く
祈りは神に対してするものなので
その信頼を神が喜ばれるのです

一般的に「信仰する」というのは、弱い人がすることのように思われますが
本当の信仰は、弱い人にはできません
これが偶像の信仰なら、目に見える物にすがるので、信仰もしやすいかもしれません
ところが本当の信仰は、目に見えない神を信じることですから
それには「強い信念」が必要になるのです

いわば、本当の信仰がなければ神に対して祈ることはできず
その心からの思いを神は見ておられるということなので
格好ではなく、心を注ぎ出して祈ったハンナは
その後、エリから
『安心して帰りなさい。イスラエルの神があなたの乞い願うことをかなえてくださるように』
と言われると
その言葉を信じて、安心して帰っていきました

教会では、問題を抱えた人と一緒に牧師も祈りますが
神に自分の人生をゆだねて祈る人は
これから神によって成されていくことを受け入れる覚悟のある人で
神は必ずすべてのことを益にしてくださると信じることのできる人です
その問題がこの先どのようになっていくのかその時にはわからなくても
ハンナのように、神に祈ったことにより平安を得て
悩みの中から立ち上がっていこうとする
その信仰を神は喜んでくださるわけです

「神の御旨の道」とは一体どこにあるのかと
多くの信仰者は考えるでしょう
そしてそれを歩みたいと願い、そう語る人もよくあるのですが
実際に目の前に自分の思いと違う道が開かれた時に
それを神の御旨の道として受け入れていけるのでしょうか
本心は、自分の思い(欲)を神の御旨として進み
それで「わたしは従っている」と信じたいかもしれません
しかし
それでは単に自分の思いに従っているに過ぎず
そういう心もまた神に見られているのです

目に見えない神を信じ
しかも自分の思い通りではないことでも受け入れるなど
神を知らない人から見れば実に愚かなことと思えるでしょう
神の救いを知らず、その助けを体験したことのない人には
目に見えない神によりすがる信仰の先にあるものがわかりませんから
その道を歩むことを愚かと思うのです

それでも
信じる者を必ず幸いにしてくださる神は
その人生を神にゆだねる者を恵み
祝福のある道を歩ませて下さいます
サムエルが神に仕える子どもとして成長していったように
わたしたちも様々な問題を通して神の導きに従い
幸いな信仰者として、恵み豊かな人生を送っていきましょう



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