今週のみことば


4月2日


「ハンナは祈って言った
『主にあってわたしの心は喜び、主にあってわたしは角を高く上げる
わたしは敵に対して口を大きく開き、御救いを喜び祝う
聖なる方は主のみ。あなたと並ぶ者はだれもいない
岩と頼むのはわたしたちの神のみ
おごり高ぶるな、高ぶって語るな
思い上がった言葉を口にしてはならない
主は何事も知っておられる神
人の行いが正されずに済むであろうか』」
(サムエル記上2章1-3節)

エルカナの妻ハンナは子どもができないことで
もう一人の妻ペニナからひどくいじめられていました
それがあまりにひどいので、ハンナは神に
”男の子を授けてくださるならその子を神に仕える子にします”と祈り
彼女は男の子サムエルを与えられたのでした

ずっとペニナにいじめられ苦しんできたハンナは
神がその苦しみから救ってくださったことに対して
ここで感謝の祈りをささげています
彼女は自分の苦しみを通して神の救いを体験し
神がどのような方であるかを知りました

この”ハンナの祈り”は、更に11節まで続きます
その中で彼女は
神を信じる者と、神に逆らう者の行く末について語り
「主は命を絶ち、また命を与え、よみに下し、また引き上げてくださる」(6節)
”活殺自在”の”全能の神”を讃えています

「いじめ」というのは、いじめられる側にとっては想像以上に辛いもので
それがひどくなると、相手の姿を見るだけで委縮してしまうほどになるものです
すると相手はますますやりたい放題になって
もはや手がつけられなくなった時に
人はどのような道を選ぶのでしょうか
そんな時ハンナは神に祈る道を選びました
日々をただ泣いて過ごすばかりでなく
何とか前へ向いて進みたいと強く願ったのです

自分の人生は自分が主役なので、みんな自分の考えで動くわけですが
どんな人であっても、神ほどの力を持つ人はなく
自分の思いで動いた結果が、自分の計画通りでないことも多いでしょう
このように
わたしたちはみんな自分の考えを自由に選ぶことはできても
自由に人生を変えることはできません

人が病気になれば、気の毒だと思っても
家族でさえその人に代わって自分が病気になることなどできないように
神の領域に人は踏み込むことはできないのです
ということは
本当に幸せな道を歩もうと思うなら
この全能の神により頼む以外にはないということ
それを”ハンナの祈り”は伝えています

このように
神に祈って逆境を乗り越えていったハンナですが
そこには神への絶対の信頼(信仰)がありました
今わたしたちの心の中には
どのくらいの信仰があるでしょうか
本当に切羽詰まった時、何を頼りにしていくのでしょうか

ヨシュア記の最後で
ヨシュアはイスラエルの民に対して
今後どの神を選んで行くのか自分達で決めるようにと告げました
それは
何度も何度も神に助けられながら
イスラエルの民は神を裏切り、偶像に仕えてきたからです

一体どちらを選ぶのか
二つのものの間で迷うのが人間の常
そこで正しい決断に必要なのが「信仰」です

「エリヤはすべての民に近づいて言った
『あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか
もし主が神であるなら、主に従え
もしバアルが神であるなら、バアルに従え』
民はひと言も答えなかった」
(列王記上18章21節)


イエスの名による救いを受けたクリスチャンならば
みな一様に真の神を信じるのが当然のように思えますが
その信仰歴が長かろうと、いかにも信仰熱心に見えようと
その心の中に本当の信仰があるかどうかは別問題です
実は熱心に見える人の中には
その心の中に「おごり」があって
神への感謝よりも、自分の熱心を誇る人もあるからです

このような人は教会の中でトラブルメーカーとなり
その心の「おごり」のために、神がどのような方であるかも理解できないまま
弱い人をいじめ
自分を正当化しようとします
せっかく神の救いを受けていても
その人の心には神がないため
いつまでも自分の思い(欲)から離れることができないのです

誰でも自分が正しいと信じたいものですし
自分が間違っているなどとは思いたくないでしょうが
すべてのことは神が御存じであること
その神はわたしたちの心を見られる神であることを信じる信仰があれば
否応なしに自分が変わらざるを得ないのではないでしょうか

また、いじめられる側の人も
この神は本当に助けてくださるとの信仰がなければ
なかなか強くなることも、前へ向いて歩み出すこともできないでしょう
人はその心に神をもってこそ人知を超えた知恵と力が与えられ
それによって自信を持ち、強くなれるからです

どちらの立場であっても
人はいつも
「神」か「偶像(人の思い)」か、どちらを選ぶのかを問われています

神の心を持つ人は
自分にもまわりの人に対しても思いやりがあり
お互いの間に良好な信頼関係を築くことができます
会社の中でも
もし上司が常に自分で責任を取る覚悟を持っている人なら
部下は安心して働けるでしょう
反対に、常に責任を部下に押し付けるような人には
誰もついていきたくありません

同じ信仰者でも
今日まで助けられたことに感謝する人と
自分の力や熱心を誇る人と
その間には大きな差があります
わたしたちは本当の意味で神の側を選ぶ信仰をもち
幸いな道を歩む者となっていくことができますように



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