今週のみことば


4月23日


「イスラエルはペリシテに向かって出撃し、エベン・エゼルに陣を敷いた
一方、ペリシテ軍はアフェクに陣を敷き、イスラエル軍に向かって戦列を整えた
戦いは広がり、イスラエル軍はペリシテ軍に打ち負かされて
この野戦でおよそ4千の兵士が討ち死にした
兵士たちが陣営に戻ると、イスラエルの長老たちは言った
『なぜ主は今日、我々がペリシテ軍によって打ち負かされるままにされたのか
主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう
そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう』」
(サムエル記上4章1-3節)

イスラエル軍とペリシテ軍の戦いが始まりました
今回も神の助けを得て勝利を得ると思っていたイスラエルですが
ペリシテ軍に打ち負かされて4千人もの兵士を失います
その「敗因」と今度の方針について長老たちは考えました
「神の契約の箱」さえあれば勝てるはずだと

神の契約の箱はモーセの時代に作られ
中には、マナとアロンの杖と十戒の石板が入っています
イスラエルの旅はずっとこの箱と共にあり
この時点で箱は祭司エリのいるシロに置かれていました

そこで、イスラエルの兵士たちはシロに人をやって
神の契約の箱をもって来させることにしました
その時には祭司であるエリの二人の息子も箱と共にやってきて
箱が到着するとイスラエルの陣営に大歓声が起こりました
神の契約の箱が来たからには勝利は確実だと思ったからです

一方、そのどよめく大歓声を聞いたペリシテ軍は
「神がイスラエル軍に来た」と言って大いに恐れました
このイスラエルの神は、かつてあの強大なエジプト軍を撃った神だと
ペリシテ軍はよく知っていましたから
恐れると同時に、彼らは必死で戦うことを心に決めたのでした

その結果、イスラエル軍はまた敗れて
歩兵3万人を失います
その上、神の契約の箱まで奪われ
エリの二人の息子、ホフニとピネハスも死にました
以前”エリの二人の息子は同じ日に死ぬ”と預言されたことが
ここで実際に起きたのです

この訃報は、その日のうちにシロにいるエリの元に届けられました
98歳ですでに目も見えなくなっていたエリは
戦場から逃げてきた男の報告を聞き
その話が神の契約の箱も奪われたことに及ぶと
椅子から仰向けに倒れ、首を折って死んでしまいました
ここに40年間イスラエルを裁いてきたエリの人生は終わりを迎えたのです

エリの嫁に当たる、ピネハスの身重の妻は
神の箱が奪われ、しゅうとも夫も死んだとの知らせを聞いた時
陣痛に襲われて男の子を産みました
絶望した彼女は
「栄光はイスラエルを去った。神の箱が奪われた」と言い
子どもにイカボド(栄光は失われた)と名付けています

こうして、イスラエルは神に見捨てられた状態になりました
それは彼らがすでに神を見ておらず、心から求めていなかったからです
そのため、負け戦の時にも
彼らは純粋に神の助けを求めるのではなく
神の契約の箱さえあれば大丈夫・・・と考えました

この「これさえあれば(これをやっていれば)大丈夫」というのは
実に偶像的な考え方で、聖書の信仰ではありません
わたしたちの信仰生活においても
「礼拝にさえ集っていればいい」と思い、長年教会に通っていても
その心に神を崇める思いがないなら
このイスラエルの民と同じ過ちを犯していることになるのです

形だけの信仰と、心からの信仰は別物で
「心を見る神」はそこをよく御存じですが
とかく人は信仰を形でとらえ
「これさえやっていればいいんでしょ」と
形式や儀式にばかり重点を置きがちです
実際に、形で考えた方がわかりやすいこともあるため
その方面だけが熱心になり
いつの間にか心が神に向いていない状態に陥っていることも少なくないのです

全能の神は
神の契約の箱がどこにおかれていようとも
心から求める者には必ず助けを下さる神です
ところがイスラエルの民は
神の契約の箱を、ちょうど「お守り」のようにとらえていたのでしょう
そんな形あるものに望みをおく信仰をしていた彼らには
本当の信仰はわからないまま
「栄光はイスラエルを去った」との言葉通り
神ご自身はイスラエルから離れていくのでした

クリスチャンの中には聖書を毎日読んでいる人もたくさんあるでしょう
しかし、そういう人がすべて神を知っているわけではありません
それが単に習慣化したことで、そこに神への心がないなら
「毎日読んでいる」ことが望みとなる過ちに陥ることとなるでしょう

祭司エリは自分の子どもたちに正しい教育ができず
その息子たちは自分の欲望のまま行動して
それを悔いることもありませんでした
もし彼らの心が神に向いていたなら
神を畏れ、悪いことはできなかったはずです

彼らにとっての信仰は
いつの間にか自分の恵まれた立場を利用した
都合の良い信仰になっていました
こうして人は
神の恵みを忘れて
それぞれ自分勝手な信仰を作り上げていくのです

エリの家の過ちの結果
二人の息子は死に、エリも首が折れて死にました
首とは、頭と体をつなぐ重要な部分です
聖書では、頭はキリストを、体は教会を表し
頭の行くところに体も従うようにと記されていますが
ここでエリの家は
頭である神から切り離されてしまったとも言えるでしょう

すでに息子たちの心にはとっくに神から離れていたのですが
それはイスラエル全体の心も同様に
神とのつながりが失われてしまったことが
ここではっきりしたのです

人間は弱い生き物なので間違いもあるでしょう
その時にはわたしたちは自分の心を偽らず
間違いを人のせいにせず、悔い改めることが大切です
心を見る神は、その姿勢を喜び
心から神を愛する者を愛してくださいますから
神の前に正しい信仰のあり方を教えられ
各々の信仰生活に生かしていくことができたら幸いです



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