今週のみことば


5月7日


「ペリシテ人は神の箱を奪い、エベン・エゼルからアシュドドへ運んだ
ペリシテ人は神の箱を取り、ダゴンの神殿に運び入れ、ダゴンのそばに置いた
翌朝、アシュドドの人々が早く起きてみると
主の箱の前の地面にダゴンがうつ伏せに倒れていた
人々はダゴンを持ち上げ、元の場所にすえた
その翌朝、早く起きてみると、ダゴンはまたも主の箱の前にうつぶせに倒れていた
しかもダゴンの頭と両手は切り取られて敷居のところにあり
胴体だけが残されていた
そのため、今日に至るまで、ダゴンの祭司やダゴンの神殿に行く者はだれも
アシュドドのダゴンの敷居を踏まない」
(サムエル記上5章1-5節)

イスラエルとの戦いに勝ったペリシテ人は
神の契約の箱を奪い、自分たちの信仰する神ダゴンの神殿に運び入れました
ペリシテ人には「全能の唯一神」という概念がなく
どこの神でも適当に利用しようとする節操のない信仰観を持っていたようです
ところが
ダゴンの像のとなりに神の箱を置いた翌朝
ダゴンは神の箱にひれ伏すように倒れていました
更に次の日には、バラバラになって倒れていたのです

その後、アシュドドの人には神の災いが及び
災害や、腫物が生じる事態が続出したので
彼らは恐れ
「イスラエルの神の箱を我々のうちにとどめて置いてはならない
この神の手は我々と我々の神ダゴンの上に災難をもたらす」
と言って、他の町に神の箱を移します

神の箱がアシュドドからガトに移されると
今度はガトの町の人々に腫物が広がりました
そこで彼らは神の箱をエクロンに送ると
住民は大騒ぎになりました
「イスラエルの神の箱をここに移してわたしたちを殺すつもりか」と

ここでついにペリシテの領主が全員集まって
イスラエルの神の箱を送り返すことにしました
彼らにとってこの箱は災いのもとでしかなかったからです
「実際、町全体が死の恐怖に包まれ、神の御手はそこに重くのしかかっていた
死を免れた人々も腫物で打たれ、町の叫び声は天にまで達した」(12節)


偶像崇拝をするペリシテ人にとって
イスラエルの神の箱は、神そのものであると思われていました
そのため、イスラエルとの戦いにおいてこの箱が到着すると
「あの強力な神から我々を救える者があろうか」と言って恐れたのです
ところが
そんな神の箱も、戦いに敗れて奪われてしまいました

そもそも、神の契約の箱は
神の臨在の象徴(神が実存することを表すもの)であり、神ご自身ではありません
そして全能の神は、その箱を自由に用いることができるので
イスラエルに勝利を与えず
ペリシテ人に奪われることをとどめませんでした
こうして
この箱さえあれば勝利は間違いないと信じたイスラエル人に対して
それが間違いであると教えたのです
一方、神の契約の箱を利用しようとしたペリシテ人に対しては
ダゴンの神と、真の神の力の差を見せつけ
更には大変な災いを与えました

偶像の空しさについては以下のように記されています

「国々の偶像は金銀にすぎず、人間の手が造ったもの
口があっても話せず、目があっても見えない
耳があっても聞こえず、鼻があってもかぐことができない
手があってもつかめず、足があっても歩けず、喉があっても声を出せない
偶像を造り、それにより頼む者は、皆、偶像と同じようになる」
(詩篇115篇4-8節)


倒されたダゴンの神は自力で起きることができないので
人々が起しました
そもそも、自分が倒れることさえ防ぐことができない神が
どうして人を救うことができるのでしょうか
そのような無力な偶像により頼むのは空しいことです

天地創造の主である全能の神は
偶像のような目に見える神ではありません
この神は、夜のうちにダゴンの神を倒したように
「人知れず働く神」ですから
わたしたちはその働きに目がとまらないかもしれません
そのため、いつの間にか目に見えるものに心を奪われ
神から心が離れていくこともあるのです

わたしたちの人生にとって「本当に大切なもの」は何でしょうか
物にも、本物とニセ物がありますが
本当に大切なのは
わたしたちを救い、助け、正しく導いてくださる「本物の神」です
どんなにきらびやかな偶像も
人を救う力はありません

イスラエル人は、この「本当に大切なもの」をしばしば手放しています
彼らは人手によって造られた偶像に何度も心を奪われてきました
では、わたしたちは
この全能の神に対してどのような思いを持っているのでしょうか
世の中には一見頼りになりそうなものが色々ありますから
ついそちらに心を奪われてしまうかもしれません

目に見えない神さまよりも
目に見える権威のある人の方が頼りになると思い
お金があればすべてが上手くいくような気にもなってしまう、、
そんな弱さを持ちつつも
それでもこの本当に大切なものを自ら手放すことがありませんように
どのような状況にあっても
全能の神によって救われていることに力を得て進んで行きましょう



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