今週のみことば


5月21日


「サムエルはイスラエルの家の全体に対して言った
『あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら
あなたたちの中から異教の神々やアシュトレトを取り除き
心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい
そうすれば、主はあなたたちをペリシテ人の手から救い出してくださる』
イスラエルの人々はバアルとアシュトレトを取り除き、ただ主にのみ仕えた」
(サムエル記上7章3-4節)

帰ってきた神の箱がキルヤト・エアリムに安置されて20年が過ぎました
その間イスラエルの人々は他の神々にも仕えていましたが
彼らはペリシテ人に悩まされると
また真の神の助けを求めるようになりました

この時サムエルはイスラエルの人々に
偶像を取り除き
”心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい”
と命じたので
イスラエルの人々はその通りにしました
こうして
イスラエルはまた窮地から救い出されることとなります

神による激しい雷鳴で混乱させられたペリシテ軍は
イスラエル軍に敗れ
もう二度とイスラエルの国境を侵すことはありませんでした

「あなたの神、主のもとに立ち帰り
わたしが今日命じるとおり、あなたの子らと共に
心を尽くし、魂を尽くして御声に聞き従うならば
あなたの神、主はあなたの運命を回復し、あなたを憐れみ
あなたの神、主が追い散らされたすべての民の中から再び集めてくださる」
(申命記30章2-3節)


真の神を捨て、何度も偶像を取りこんできたイスラエルの人々は
窮地に追い込まれるたびに悔い改め
偶像を捨てて、神に立ち帰ってきました
この何度も裏切るイスラエルの人々を
神は何度も許します
それは、この愛の神は、あわれみ深い方だからです

「彼らが異国の神々を自分たちの中から一掃し、主に仕えるようになったので
主はイスラエルの苦しみが耐えられなくなった」
(士師記10章16節)


この憐れみ深い神に対してイスラエル人は
”心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい”
と常に命じられ続けています
ここにある「正しく」の基準は神によるもので
あくまでも神の言葉に従うことが求められているのです

「主の目にかなう正しいことを行いなさい
そうすれば、あなたたちは幸いを得
主があなたの先祖に誓われた良い土地に入って、それを取り
主が約束されたとおり、あなたの前から敵をことごとく追い払うことができる」
(申命記6章18-19節)


”主の目にかなう正しいこと”とは
神以外のものに心を奪われないようにするということです
それでもイスラエル人は何度も他の神々に心を奪われていくのですが
わたしたちはどうでしょうか?

「偶像」や「他の神々」は
その人が頼りとする存在を示しており
それは「お金や地位や名誉など」でもあるわけです
人はしばしばこういったものに心を奪われ
本当の正しさの基準(神)を見失います
ところが
いざ様々な問題に直面する時には
頼りになると思っていたお金や物や人の知恵も役に立たず
そうなると心は神に向くようになるわけです

クリスチャンなら、誰でもわたしは神を信じていると思うでしょう
ところが、本心ではどこかで神を侮っているかもしれません
この神は心を見る神であることは毎回のように語っていますが
そのことが本当にわかっていないと、間違った歩みをするようになり
本来ならわたしたちが神からの指示を受け入れるべきところを
自分が神に指図するようにもなるのです
つまり、自分が正しいと思うことを通そうとしてトラブルを招き
自分の思い描く理想におぼれ
神の恵みに対して感謝することもできなくなる
もし自分が絶対正しいという人があるなら
その人にとって神は必要のない存在です

イスラエル人の勝利の秘けつは
いつも神への絶対の信頼にありました
わたしたちの人生の戦いもこれと等しく
どんな問題も、神への信頼(信仰)が勝利の秘けつです

サムエルがイスラエル人を悔い改めさせたように
わたしたちも本当に神を信頼しているのかどうかを自分に問いかけてみましょう
自分の理想を追求し、損得勘定で信仰熱心になるのは
神に喜ばれることではないからです

神から与えられる恵みが自分の思い描く理想とは異なっていても
それがその人にとって一番良いことだと信じる人は幸いです
神が開いてくださった道には祝福があり
神への絶対の信頼を持っている人は
そこを感謝して歩むことができるからです
それは
これまで助けられてきた感謝を忘れていないからこそできることでしょう

しかし、人の心は弱いので
ギャンブルにのめり込んだ人が給料の大半を使いこんでしまうように
自らをコントロールするのは難しいもの
だからこそ信仰者はそれぞれ自分の弱さをよく知って
その弱い意思が神によって強くなるように祈って行動し
事の善悪の判断も、あやふやな自分の思いではなく
神の正しさにゆだねなくてはならないのです

聖書を読むと
神による戦い方や、病気の癒し方は、人の考える常識と異なっていますから
目先のことに捕らわれると、先にあるものがわかりません
こんなことで大丈夫なのか?と不安になっても
神のご計画は必ず結果となってあらわれます
それを自己流の信仰で進もうとするなら
それもまた別の結果となってあらわれるわけです

今、自分は何を考え、何をしているのかは
自分の心に聞けばわかります
その心はどこに向いているのでしょうか
自分が正しいと思ってやっていることで何の実(結果)が生っているのでしょうか

かつてキリストを迫害していたパウロは
ある時キリストに捕えられて、福音を伝える人になりました
ガラテヤ人への手紙1章24節には
別人のようになったパウロを見た人々が
その変わりように驚き、神をほめたたえたとあるように
救われてクリスチャンになった者の日々の歩みは
神の存在を証するために重要です

神はすべてのことをご存じで
壮大な計画のうちにわたしたちは置かれています
その中で目先のものに心を奪われることがあったとしても
それでも神に立ち帰り
本当の自分と向き合って、間違いを悔い改め
正しい道を歩んで行きましょう



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