今週のみことば


5月28日


「イスラエルの長老は全員集まり、ラマのサムエルのもとに来て、彼に申し入れた
『あなたは既に年を取られ、息子たちはあなたの道を歩んでいません
今こそ、ほかのすべての国々のように
我々のために裁きを行う王を立ててください』
裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映った
そこでサムエルは主に祈った
主はサムエルに言われた
『民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい
彼らが退けたのはあなたではない
彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ
彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで
彼らのすることと言えば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった
あなたに対しても同じことをしているのだ
今は彼らの声に従いなさい
ただし、彼らにははっきり警告し
彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい』」
(サムエル記上8章4-9節)

サムエルは年老い、やがて息子たちが次の士師として任命されましたが
この二人は職権を乱用し
不正な利益を求め、ワイロを取って裁きを曲げる者であったため
イスラエルの長老たちはサムエルの所に来て
今後はイスラエルを導くために王を立ててくれと願い出ました

これまではイスラエルを裁く人として士師が置かれ
士師は常に神に聞きながら民を正しく導いてきましたが
ここでイスラエル人は他国と同じく王を求めるようになったのです

このことを悪と感じたサムエルは神に問います
すると神はサムエルに、民の言うままにしなさいと告げるのでした
エジプトを出た時から今に至るまで
イスラエル人の歴史は神を裏切る歴史でもありました
彼らはどんなに助けられても、その心はいつも他の神々に移り
今もなお失敗を繰り返そうとしているのです
なぜなら
王を求める彼らの心理は
”彼らの上にわたし(神)が王として君臨することを退けている”ことの表れであり
それに対して神は、彼らをしたいようにさせる代わりに
王政になった場合のリスクをあらかじめ教えておくようにと告げました

そこでサムエルはイスラエルの民に向かって
王政になった際には
息子たちには徴兵が、娘たちには王に仕える仕事が課せられ
自分たちの畑は王に没収され
年貢を納めることを要求され
使用人や家畜まで取られて
こうして彼らは王の奴隷となるのだと告げました
そして
自分たちが選んだ王のために泣き叫ぶようになっても
もはや神は答えてはくださらないのだと、、、

それでも民はサムエルの声に聞き従おうとせず
王を求めたので
神はそれを受け入れるようサムエルに指示するのでした

この後、イスラエルに初めての王が誕生するわけですが
もし王が神に対して絶対忠実であるなら
その政治は民にとって幸いなものとなったでしょう
しかし人間の王は欲を持っているので、必ず民に対して要求をします
神ならば、民の幸いを考え、愛をもって導いてくださるところを
人間の王は自分の都合を第一に考えるので
民はその犠牲になっていくのです

イスラエルの民は
ずっと神の恵みの中で活かされてきたにもかかわらず
結局その愛を理解しないままここまできました
士師が正しく導こうにも限度がありますから
やがて彼らは士師にも従わなくなって
力の強い人間の王を求めるようになり
こうして彼らの信仰は神から人へと移っていったわけです

神の愛のうちに導かれている方がずっと楽で幸せなのに
自ら苦労する方を選んでいくイスラエルの民の歴史は
「人の思い」が第一になることの怖さを物語っています
では、わたしたちの心はどうでしょうか?
わたしたちは現在生活しているところの規則(法律)に従って生きていても
心は神による統治下にあるはずですが
いつの間にか心の中に自分という名の王を立てて
その思いに従い
やがて奴隷になっていく恐れがあるのです

自分の都合が第一になると
人は何が本当に正しいのかという判断ができなくなります
その時には、もはや神は必要ないと思っているので
(自ら神の導きを退けている状態)
こうして人生から神がいなくなって、サタンの自由のままになる
そして
ただ自分の願いがかなうことだけを望み
その先にあるのは幸せな未来だと信じても
それが間違いであると分かった時には
誰も責任を取ってはくれないのです

士師記8章においてギデオンは
彼にイスラエルを治めてほしいと願う民に言っています
「イスラエルの人はギデオンに言った
『ミディアン人の手から我々を救ってくれたのはあなたですから
あなたはもとより、御子息、そのまた御子息が、我々を治めてください』
ギデオンは彼らに答えた
『わたしはあなたたちを治めない
息子もあなたたちを治めない
主があなたたちを治められる』」(22-23節)


確かにギデオンは大勇士であっても
敵の大軍にわずか300人の兵士で勝利させたのは神の力です
それをイスラエルの民はギデオンの手柄として
彼の強さに頼ろうとしました
この時、ギデオンは「主があなたたちを治められる」と言い、断っていますが
その彼も後に偶像を作ることになりました
人間とは何と弱い生き物なのでしょう

このように
人は神の働きをすぐに人間の手柄としがちです
そして神への感謝を忘れてしまう
イスラエルの間違いは、常にここにありました

神から助けられてきたことへの感謝を忘れていく時には
その人の人生には神がいないも同じです
神への感謝と共に生きていくことは
わたしたちが正しく生きるために最も大切なことであり
これこそが神に喜ばれる道を歩む姿ではありますが
人間は目に見える偶像が好きなので
(その方がわかりやすく、頼りやすい)
その思いにサタンがつけこみ惑わすため注意が必要です

この後
神に導かれて働く士師の時代から
人の力で支配する王の時代へとイスラエルは変わっていきました
それは民が自ら選んだ道です

わたしたちの前にも色んな道があり
どちらを選ぶべきかを問われます
その時には
本当の正しさの基準をどこに見いだすのでしょう
そして
選んだ先にあることの責任は自分に帰ってくるとなれば
そこは冷静に判断しなくてはなりません

どんな時も神への感謝を忘れず
その感謝をもって自らの信仰の支えとし
正しい判断をしていくことができますように



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