今週のみことば
7月2日
「サムエルは全イスラエルに向かって言った
『わたしは、あなたたちがわたしに求めたことについては
すべてあなたたちの声に従い、あなたたちの上に王を立てた
今からは王が、あなたたちを率いて歩む
わたしは年老いて、髪も白くなった
そして、息子たちはあなたたちと共にいる
わたしは若い頃から今日まであなたたちを率いて歩んできたが
今、主と主が油を注がれた方の前で、わたしを訴えなさい
わたしが、だれかの牛を取りあげたことがあるか
だれかのろばを取りあげたことがあるか
だれかを抑えつけ、だれかを踏みにじったことがあるか
誰かの手からワイロを取って何かを見のがしてやったことがあるか
あるなら、償おう』」
(サムエル記上12章1-3節)
年老いたサムエルは
自分がこれまで神の前に誠実に歩んできたかどうかを
全イスラエルに対して問いかけました
これに対して民は
サムエルに全く不正はなかったと証言します
「サムエルは言った
『今日、あなたたちがわたしの手に何ひとつ訴えるべきことを見いださなかった事については
主が証人であり、主が油を注がれた方が証人だ』
彼らは答えた『確かに証人です』」(5節)
こうして自らが神の前に正しく歩んできたことを確認したサムエルは
イスラエルの民に対して最後の忠告を語り始めます
かつてエジプトで虐げられた生活をしていた先祖が神に助けを求めた時
神はモーセとアロンをつかわしてエジプトから率い出してくださいました
そしてたくさんの奇跡をもって彼らを助け
ついに約束の地カナンに入れてくださったのに
彼らはその大切な神を捨てて偶像に心を寄せたのです
そこで神はイスラエルに対して敵を送ると
たちまち悔いて神に助けを求めたので
神は士師をつかわして周囲の敵から救い出してくださいました
ところが
11章に記されているように
アンモン人の王ナハシュが攻めてくると
民は神よりも人間の王によって助けられることを望んだのです
「今、見よ、あなたたちが求め、選んだ王がここにいる
主はあなたたちに王をお与えになる
だから、あなたたちが主を畏れ、主に仕え、御声に聞き従い
主の命令に背かず、あなたたちもあなたたちの上に君臨する王も
あなたたちの神、主に従うならそれでよい
しかし、もし主の御声に聞き従わず、主の命令に背くなら
主の御手は、あなたたちの先祖に下ったように、あなたたちにも下る
さあ、しっかり立って、主があなたたちの目の前で行われる偉大な御業を見なさい
今は小麦の刈り入れの時期ではないか
しかし、わたしが主に呼び求めると、主は雷と雨とを下される
それを見てあなたたちは
自分たちのために王を求めて主の御前に犯した悪の大きかったことを知り、悟りなさい」(13-17節)
この後、サムエルが神に呼び求めると
本当に雷と雨が下されました
これを見たイスラエルの民は非常に恐れて
「確かに我々はあらゆる重い罪の上に
更に王を求めるという悪を加えました」(19節)と認めます
これに対してサムエルは
以下のように最後の忠告の言葉を結んでいます
「主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい
主がいかに偉大なことをあなたたちに示されたかを悟りなさい
悪を重ねるなら、主はあなたたちもあなたたちの王も
滅ぼし去られるであろう」(24-25節)
どんな大きな奇跡を見ても
どんな苦難から助けられても
いつまでも神がいかに偉大な存在であるかを悟らないイスラエルの民は
どうしても人間の王が欲しくなり
ついに彼らの望みどおり王が立てられました
神を侮り、神を捨て、人間の王を求めるという「悪」を犯したイスラエルの民に
神の怒りが具体的に下されると
たちまち彼らは恐れて悔いるのですが
彼らはいつもこの繰り返しです
そもそも、サムエルが出エジプトのことから説教しなくてはならないほど
イスラエルの民はあの大きな奇跡でさえ忘れつつあったのでしょう
そして神への感謝も畏敬の念も忘れて
自分の心を第一として勝手なことを始めるのです
では
わたしたちはどうでしょうか
救われて今日に至るまでどのような神の助けを受けてきたのかを
他の人から指摘されなければ思い出せないとしたら
心の中には神が不在で、自分が王様になっているということです
こうして
大きな奇跡を体験した人でも
苦しい時に助けてくださった神を忘れていくなら
何年たっても神がどのような方であるか理解することはできません
神が分からない人に神の導きが分かるはずはなく
結局、自分の思いに従って自分勝手に生き
それでも許されると思ってしまうのです
こういう人が教会に増えてくると
教会内の調和が乱れてしまいます
教会は神による一致が保たれるところですから
オーケストラで各楽器が好き勝手に音を鳴らすのではないように
神に導かれて良いハーモニーを響かせていくことが大切です
「自分が自分が」と言って自分のことばかり考え
自分の誇りで歩むのは
神に喜ばれる生き方ではありません
人間は誰も自分の力で生きているわけではなく
健康も神の絶妙な采配のうちに保たれているわけです
そのバランスが少しでも狂えば体調を崩し
たちまち平安な生活を失うこともあるでしょう
それでも人間は
神のおごそかさを忘れて傲慢になり
自分の心が王様になっていく時
自ら災いを招くことになるのだと聖書は教えています
人生が神に導かれるのと、人に導かれるのと
どちらが幸いなのかは明らかなことですが
それを理解するためには
”主がいかに偉大なことをあなたたちに示されたかを悟りなさい”
と記されているように
クリスチャンとして
ここまでの人生をどのような助けをもって導かれてきたのかを
改めて思い出すことが大切です
わたしたちは神を「都合のよい存在」にしてはいけません
神への畏れと感謝を常に忘れないように
心して歩んで行きましょう
<目次