今週のみことば


7月9日


「サウルは、サムエルが命じたように、七日間待った
だが、サムエルはギルガルに来なかった
兵はサウルのもとから散り始めた
サウルは、「焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を持って来なさい」と命じて
焼き尽くす献げ物をささげた
焼き尽くす献げ物をささげ終えたそのとき、サムエルが到着した」
(サムエル記上13章8-10節)

サウルが王となって2年目に
彼はイスラエルから3千人の兵士を選りすぐり
そのうち王子ヨナタンの率いる千人の兵がペリシテの守備隊を打ち破ったことから
ペリシテ軍はイスラエル軍と戦うために大軍を集結しました
その戦車は3万、騎兵は6千、兵士は海辺の砂のように多かったので
イスラエルの兵はサウル王の後ろで恐れおののいていました

サムエル記上10章において
サウルが王としてサムエルから油を注がれた後
サムエルはサウルに、これから起こることを予言しました
王になった彼にはこれから主の霊が降り、預言する状態になるので
そうなったら、しようと思うことは何でもしなさい
それは神が共におられるからだというのです
その後のことについては以下のように語りました
「わたしより先にギルガルに行きなさい
わたしもあなたのもとに行き、焼き尽くす献げ物と、和解の献げ物をささげましょう
わたしが着くまで七日間、待ってください
なすべきことを教えましょう」(8節)


ギルガルは、サウル王がアンモン人ナハシュに勝利した後
王国を起こすためにイスラエルの民が移動した場所です
そこで今度はペリシテ人との本格的な戦いが始まろうとしていました
サムエルはあらかじめ
「わたしが着くまで七日間、待ってください
なすべきことを教えましょう」

と言っていたわけですが
約束の七日間を過ぎてもサムエルが来ないので
イスラエル兵たちは動揺して散り始めたのです
その様子を見てあせったサウルは
サムエルが到着して次の指示をするのを待たず
自分で勝手に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげる儀式を行ったのでした

すると、献げ物ささげ終えた時になってサムエルが到着し
『あなたは何をしたのか』とサウルを問い詰めます
これに対してサウルは
サムエルが来るのが遅いから自分で神に嘆願したのだと言い訳しますが
サムエルは以下のように告げるのです

「あなたは愚かなことをした
あなたの神、主がお与えになった戒めを守っていれば
主はあなたの王権をイスラエルの上にいつまでも確かなものとしてくださっただろうに
しかし、今となっては、あなたの王権は続かない
主は御心にかなう人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる
主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ」(13-14節)


この後、次の王としてダビデに油が注がれ
サウルは王位にありながらもずっと悪霊に悩まされることとなります
そしてダビデの命を狙い続け
やがて悲惨な最期を迎えるのでした

ギルガルにおいてサウルが犯した過ちは
サムエルから聞いていた神の言葉に従わなかったということです
兵が逃げていくのを見た彼は
祭司でもないのに、燔祭(はんさい)をささげてしまいました
これは
サウルが神を見ておらず、世を見て恐れたことを表わしています
それは、わたしたちにもあることではないでしょうか

人生には、人それぞれ思うところはありますが
”神の領域は神に任せる”という認識がなければ
それは神を信じていないということ
クリスチャンは
神のご計画の中を歩む者として生かされ
すべてのことは神が成すままになっていくのだと
その時が来るまで待つ姿勢が重要なのです

サウルは、その”待つ”ということができませんでした
そして
彼はそのために神の祝福を失い
悪霊に惑わされる者となっていきます

「次の日、神からの悪霊が激しくサウルに降り
家の中で彼をものに取りつかれた状態におとしいれた
ダビデは傍らでいつものように竪琴を奏でていた
サウルは、槍(やり)を手にしていたが
ダビデを壁に突き刺そうとして、その槍を振りかざした
ダビデは二度とも、身をかわした」
(サムエル記上18章10-11節)


ここでは「神からの悪霊」と記してあるように
悪霊はサタンからだけでなく、神からもくだされることがわかります
サウルの心にはダビデを殺そうとの「悪い思い」がのぞんできて
ずっとその思いのとりこになっていくのでした

どんな時も神を信じて待つ
そんな正しい思いを持ち、行動する時には
例え悪霊がやってきたとしても、それに負けることがありません

クリスチャンは救われているから悪霊と無関係なのではなく
この世に生きる限り、わたしたちはこの悪の霊との戦いがあります
だからこそ神の力と知恵がなければ立ち向かうことはできないのです

神の前に何が正しくて何が間違っているのか
その判断はわたしたち自身にゆだねられています
その時には自分を白紙状態にして
何があっても神を信頼する心を持っていきましょう

子どもが親に対して心を許すことで平安を得ているように
人と神との信頼関係も同じことが言えます
すべてのことは神が良くしてくださると信じる信仰があってこそ
わたしたちは本当の平安を得ることができるのです

神の前に、祭司には祭司の、王には王の務めがあります
そしてわたしたちもまた
それぞれ置かれたところで自分の務めに忠実に歩んで行きましょう



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