今週のみことば


8月6日


「このペリシテ人は続けて言った
『今日、わたしはイスラエルの戦列に挑戦する
相手を一人出せ。一騎打ちだ』
サウルとイスラエルの全軍は
このペリシテ人の言葉を聞いて恐れおののいた」
(サムエル記上17章10-11節)

ペリシテ人はイスラエルとの戦いに備えて軍隊を召集しました
それに対してイスラエル兵も集結し
どちらの軍も、谷を挟んだ山に陣をはります
すると、ペリシテの陣地から一人の戦士が出てきました
彼はゴリアテという名の大男で
背の高さが6キュビト半(2.9メートル)もあり
5千シェケル(57キログラム)の鎧を身に付け
穂先が6百シェケル(6.8キログラム)もある鉄の槍を持っていました
そんな大男がイスラエルの戦列に向かって
一騎打ちをしようと言うのです
もしイスラエルの兵士が勝てばペリシテはイスラエルの奴隷となり
ゴリアテが勝てばイスラエルはペリシテの奴隷になる
そんな条件を突きつけてきたゴリアテに対して
イスラエル軍からは誰も戦いに出向く者はいませんでした

その頃、ダビデは
戦場にいる兄たちのところに食事を届けに行きます
そこでゴリアテがイスラエルをののしる言葉を聞いた彼は
サウル王に自分がゴリアテと戦いましょうと言いました
これに対してサウルは無理だと止めるのですが
ダビデは言い張ります

「わたしは獅子も熊も倒してきたのですから
あの無割礼のペリシテ人もそれらの獣の一匹のようにしてみせましょう
彼は生ける神の戦列に挑戦したのですから』
ダビデは更に言った
『獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は
あのペリシテ人の手からも
わたしを守ってくださるにちがいありません』
サウルはダビデに言った
『行くがよい。主がお前と共におられるように』」(36-37節)


こうしてゴリアテとの戦いに出ていくことになったダビデに
サウルは自分の鎧(よろい)や兜(かぶと)を着けさせようとしましたが
その装束は、まだ少年のダビデには大きすぎたため
彼はそれを脱いで、自分の杖を持ち
川岸に下って5つの石を拾って羊飼いの投石袋に入れ
いつも使っている投石器を手にしてゴリアテに向かって行ったのでした

カナンの地に入ってから
イスラエルはペリシテ人によってずっと悩まされてきました
そして、今回のゴリアテとの戦いにおいても
イスラエル軍の中から彼と戦おうとする者は出ていません

そもそもイスラエル人は
カナンの地を目ざしてエジプトを出た時から
目の前に立ちはだかるどんな大きな問題も
神によって全てが解決されたにもかかわらず
彼らには神に対する絶対の信頼、つまり信仰が育っていませんでした

彼らは信仰がないので問題が起こるといつも文句を言うばかりで
解決しても感謝がなく、神に栄光を帰さず
再び問題が起きるとまた文句を言うの繰り返しです
そのため
どんな事が起きても神が救ってくださるとの確信がなく
困難に直面するといつもオロオロするばかりで
戦う勇気もありません

そんな中で、ダビデだけは違っていました
まだ少年のダビデが大男に挑戦するなど
分不相応のことをしているように見えますが
彼の行動は信仰によるものでした

”彼は生ける神の戦列に挑戦したのですから”

これが、ダビデがゴリアテと戦う理由です
神を侮り、挑んでくる者は
神によって滅ぼされるのだと、ダビデは信じていました
彼は自分自身に力はなくても
これは神の戦いであることを知っていたのです

更にダビデは
これまで羊飼いとして働く間にも
獅子や熊と戦わなくてはならないことがあり
そんな時も必ず神が戦いに勝利させてくださったことを覚えていました
あの勝利を与えてくださった神は
ゴリアテとの戦いにも勝利させてくださるに違いない
その確信が彼を戦いへと導いたのです

わたしたちの前にも、様々な問題が繰り返し起こりますが
そんな時、過去の救いの業を覚えているでしょうか
神に助けられたことをずっと感謝しているでしょうか
その心があれば
新しい問題にも必ず助けがあると信じて
問題から逃げ出さず、戦うことができるでしょう

問題に対して、恐れたり逃げたりするのは簡単なことです
しかし、それでは何も解決しません
カナンの地に入ってからのイスラエル人は
先住民との戦いの繰り返しでした
イスラエル人が先住民を滅ぼし尽くすように命じられたのは
彼ら(先住民)が真の神を侮り、偶像を崇めているからです
わたしたちも、心の中に繰り返しでてくる「先住民=不信仰の思い」を滅ぼすべく
戦わなくてはなりません
どんな大きな問題が起ころうとも
神がついていて下されば恐れることはないのだと
その確信を育てなくてはならないのです

人間はお金がたくさんあれば、平安があるような気がして
神をばかにするのですが
実際には、神を抜きにするところに平安はありません
これが「自分が何者であるか」を知らない人の恐いところです

ダビデは自分がどういう者であるかをわきまえていました
そして、5つの石と投石器という
自分に普段から与えられているものを武器として戦いに出ていきます
その彼の持つ武器の中で一番大きいのが「信仰」であり
わたしたち一人一人も色んな武器を持っているとしても
一番重要な武器は「信仰」なのです

というのも
普段から教会に来ている人も、御無沙汰している人であっても
困った時にはまず一番に神を思い出し
教会に連絡して頼ろうとする人は
その人の心に「信仰」があって、それを神は見ておられるわけです
神は救いを求めるものを決して放っては置かれません

信仰とは、面子でやっているものではなく
心から神を信じ求めるものです
そして、すべての栄光は神に帰し
例え問題は色々あったとしても
今まで生かされていることに感謝できる人に成長することが大切です

人生においては同じような問題を何度も通されることがあっても
神がどのような方で、何が正しいのか、わたしたちはどう生きるべきなのかを
「教えられる人」と「教えられない人」があります
大まかに言えば、神の栄光を求める人は教えられ
自分の面子を求める人は教えられません

いつまでも「教えられない人」のイスラエル人の歴史を通して
神に感謝できる人の歩み方を学んで行くことは大切です
神に感謝し、栄光を帰することで、わたしたちは恵まれ、神を愛するようになり
その愛に答えるように神からの平安が与えられる
そんな循環がわたしたちの心の中に育っていきますように
ひとつひとつの問題に信仰を持って対処する心構えを持って
恐れず前向きに歩んでいきましょう



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