今週のみことば


8月27日


「ときに、主からの悪霊がサウルに降った
サウルは館で槍を手にして座り、ダビデはその傍らで竪琴を奏でていた
そのとき、サウルがダビデを壁に突き刺そうとねらったが
ダビデはサウルを避け、槍は壁に突き刺さった
ダビデは逃げ、その夜は難を免れた」
(サムエル記上19章9-10節)

サウルは娘のミカルをダビデに妻として与えなくてはならなくなり
そのダビデはいよいよ戦いにおいて武勲を立てたので
サウルはダビデに強い敵意をいだき
息子のヨナタンと家臣の全員にダビデを殺すよう命じました

しかしヨナタンはダビデと深い友情で結ばれていたので
サウル王のたくらみをダビデに教えて彼をかくまう一方
サウル王にはダビデを殺さないように説得にかかります
するとサウルはヨナタンの言葉を受け入れて言いました
『主は生きておられる。彼を殺しはしない』
その言葉を聞いたダビデは再びサウル王に仕えることになりました

このようにサウルは正常な精神状態の時には神を恐れ
正しい判断をしましたが
神からの悪霊が降ると、またダビデを殺そうとします
しかし、その計画は失敗し
ダビデは逃げていきました

更にサウルはダビデの家に使者をつかわし、殺させようとします
そこにはサウルの娘ミカルがいましたが
彼女はダビデを愛していたので彼を窓から逃がしました
その後ミカルはダビデの寝床に人形を置きヤギの毛をかぶせておきます
娘にだまされたことを知ったサウルは彼女を問い詰めるも
ミカルは
『あの人は”わたしを逃がせ。さもないとお前を殺す”と脅しました』
と、ウソを言うのでした

こうして難を逃れたダビデは
ラマのサムエルのところに行ってサウルの仕打ちを報告します
そしてサムエルとダビデが一緒にナヨトに行くと
それをサウルに密告する者があったので
サウルはナヨトに向けてダビデを捕えるための一団を派遣しました
すると
彼らはサムエルの率いる預言者の一団と出会い
そこで神の霊がサウルの使者たちの上にも降ったため
彼らもまた預言するような状態になったのです
これではダビデを殺すことができないので
サウルは次々使者を送るも、みんな同じ状態になり
最後にはサウル自身がナヨトに向かうと
今度はサウルにも神の霊が降って、預言する状態になりました

「彼は着物を脱ぎ捨て、預言する状態になったまま
その日は一昼夜、サムエルの前に裸のままで倒れていた
このため、”サウルもまた預言者の仲間か”と人々は言った」(24節)

ダビデへのねたみにかられて
神からの悪霊によって狂っていくサウルは
さらに神の霊によって、自分の意図しない行動をとらされて
結局はダビデを捕えることはできませんでした

何も悪いことをしていないのに
サウル王のねたみによって命を狙われると言う
実に理不尽な目に会うダビデですが
彼は常に神を信じ、神の守りのうちに行動したので
サウルがどんな手を使って攻めて来ても
この先も決して滅ぼされることはありません

”神の守りのうちにある人は
敵がどんなに攻めても滅ぼされない”
この事実は、神を信じる者にとって大きな希望です
わたしたちの人生には
神の許しのうちに色んなことが起こり
人はその動きをとどめることはできませんから
神の力を頼るほかはないのです

サウルが「ねたみ」という自分の心に勝てなかったように
わたしたちもまた、自分の心の弱さに勝利できなければ
そこには悪霊がついてきて過ちを犯すことになり
もはや自分ではどうしようもない状態に陥ってしまうかもしれません
だからこそ神に頼り、祈って
正常な状態で生きていけるように
自分の歩みを整えていかなくてはならないのです

クリスチャンの歩みは
神が共に居てくださる歩みです
ダビデが常に神に聞き従っていったように
もうダメかも?と思えるようなところを通ることになっても
そこには神のご計画があることを信じて
勢いを持って生きていきましょう

神に立って歩む人には
その人の良い面が表れていきます
反対に、神になければ、良い面も消えてしまいます
神に導かれ正しい行いをするダビデと
神からの霊で愚かな状況になっていくサウル
その違いをよく知って
神に従うとはどういうことであるかを教えられていくことが大切です

ダビデのように試練を通るのは辛いものであっても
そこを通っていく(従っていく)人には必ず神の幸いな証があります
神にあってはすべてのことが益となっていくと教えられていますから
心の中に起こってくる戦いに勝利すべく
いよいよ神に従う道を歩んでいくことができますように



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