今週のみことば


9月3日


「ダビデは立ってその日のうちにサウルから逃れ
ガトの王アキシュのもとに来た
アキシュの家臣は言った
『この男はかの地の王、ダビデではありませんか
この男についてみんなが踊りながら
”サウルは千を討ち、ダビデは万を討った”と歌ったのです』
ダビデはこの言葉が心にかかり、ガトの王アキシュを大変恐れた
そこで彼は、人々の前で変わったふるまいをした
彼らに捕えられると、気が狂ったのだと見せかけ
ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりした」
(サムエル記上21章11-14節)

20章において
サウル王の息子ヨナタンは
ダビデが心配しているように
サウルが本当にダビデを殺そうとしているのかどうかを確かめ
その確信を得たところでダビデを王宮から逃がします

ヨナタンと別れたダビデは
祭司アヒメレクのところへ行きました(21章)
ダビデは自分がサウル王の命令で一人で行動しているとウソを言います
そして、アヒメレクから食料として供えのパンをもらい
更に武器も求めたところ、ゴリアテの剣を渡されました

ダビデはその後すぐにアヒメレクのところを去り
ペリシテ人の領地であるガトの王アキシュのもとに来ました
しかし、ダビデの姿を見た家臣はすぐに彼が何者であるかに気づきます
これはサウル王よりも強いと評判のダビデではないか・・と

そんな宿敵イスラエルの勇者ダビデを
きっとアキシュは捕えて殺そうとするに違いない
ダビデはそう思って恐ろしくなり
とっさに気の狂ったふりをします
するとその演技にだまされたアキシュは
ダビデを追いだすように命じたので
ダビデはそこから逃げて、アドラムの洞窟にかくれました

こうしてダビデは難を逃れましたが
そのために気の狂ったふりをしたのは恥ずかしことでした
この作戦は神から出たものではなく
ダビデが「ガトの王アキシュを大変恐れた」ことにより
自分で考え出したことだからです

ダビデはサムエルによって王としての油を注がれていましたが
自分の前に油を注がれていたサウルの存在を尊重し
サウルから神の霊が離れてしまっていても
ダビデが自らサウルを討つことはありませんでした

このようにダビデは
いつもサウルを立て、同時にサウルを恐れて
結局、自分はサウルの元を逃げていくのです
ダビデには神の霊がついていて
そこには神の知恵があるにもかかわらず
サウルという人間を恐れることで
せっかくの神の祝福も十分に生かされない状態になりました
その上
今度はアキシュという人間を恐れることで
自ら恥ずかしい真似をすることになるわけです

本来ならば
神の力を信じていれば
もっとその力が生かされたことでしょう
信仰者にとって恐れるべき存在は神だけですが
ダビデであっても
人間を恐れるというワナに陥っていくのでした

「人は恐怖の罠(わな)にかかる
主を信頼する者は高い所に置かれる
支配者のご機嫌をうかがう者は多い
しかし、人を裁くのは主である
神に従う人は悪を行う者を憎む
神に逆らう者は正しく歩む人を憎む」
(箴言29章25-27節)


ダビデは一見、人を恐れない勇者のようであって
いざとなるとやはり人間が恐くなりました
これが人間の心理です
そしてこれは
わたしたち信仰者の心理でもあるわけです
だからこそ祈っていかなければ
正しい道を歩むことはできません

神を恐れる者は必ず守られることを信じ
神からいただく恵みを生かして
日々の戦いに勝利を得ていきましょう



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