今週のみことば


9月24日


「ダビデは荒野のあちこちの要害にとどまり
またジフの荒野の山地にとどまった
サウルは絶え間なくダビデをねらったが
神は彼をサウルの手に渡されなかった」
(サムエル記上23章14節)

サウルに命をねらわれ逃げ回っているダビデの元に
ペリシテ人がケイラの町を襲って略奪をしているとの知らせが入りました
そこでダビデはケイラを救いに行くべきかどうかを神に問います
すると神の答えは「行きなさい」でした

しかし、これに対してダビデの兵たちは消極的でした
なにしろ彼らはユダにいてもサウルに命をねらわれて恐れているというのに
わざわざケイラまで出向いてペリシテ人と戦えばどうなるのかと、、
そこでダビデはもう一度神に問いました
すると神の答えは今回も同じく「行きなさい」でした

「立て、ケイラに下って行け。ペリシテ人をあなたの手に渡す」(4節)
この神からの命令に従ったダビデは
ペリシテ軍に大打撃を与え、ケイラの町を救います
ダビデはどんな時も神に聞き
その答えが自分にとって都合が悪いことであっても従ったので
神は常に彼に勝利を与えてくださいました

一方、ダビデがケイラに来たと知らされたサウルは
ダビデはこれで町の中に閉じ込められたも同然だと喜びます
サウルからはすでに神の霊は離れていても
彼はそれを知らず
「神がダビデをわたしの手に渡された」と信じたのでした

サウルがダビデを包囲するために全軍を召集していると知ったダビデは
また神に問いました
「ケイラの有力者らは、サウルの手にわたしを引き渡すでしょうか」
すると、神の答えは「引き渡す」とのことでしたので
ダビデと約600人の兵はケイラを去り、あちこちさまよいます

サウルはダビデが避難したと知らされたので出陣するのをやめましたが
その後もずっとダビデをねらい続けました
それでも神がダビデをサウルの手に渡されなかったので
ダビデはずっと逃げのびていきます

また
ジフの荒野のホレシャにとどまっていたダビデの元にヨナタンが来て
神に頼るようにとダビデを励まし、ダビデが次の王になるのだと告げ
二人が神の前で契約を結んだ頃
ジフの町の人々はダビデをサウルに引き渡そうとしていました

サウルはダビデの居場所をさがし
ついにダビデとその兵を捕えようと迫ってきたところ
ペリシテ人が国に侵入してきたとの情報が入ってきたため
ダビデを追うのをやめてペリシテとの戦いの方に行くことになります
こうしてダビデはまたしても神の助けによって窮地から救われたのでした

サウルとダビデは
共にサムエルから王としての油を注がれた者ですが
神はサウルを捨て、常にダビデを助けます
サウルという人はけっして偶像を拝んでいるのではなく
イスラエルの神を信仰していましたから
すでに神の霊が彼を離れていても
まだ神が味方してくださると信じていました

しかし
サウル自身は心の中ですでに神を捨てていたことが
彼の行動を見ていると分かります
サウルは自分が王であることにこだわり
そのためにダビデの命をねらい
ダビデを助けた祭司アヒメレクの関係者をことごとく殺しました

神の祭司を85人も殺したサウルの姿は
神を捨てた人の姿であり
心を見る神は、それをご存じでした
神は「形式の信仰」を喜ばず
見かけだけは信仰熱心でも
心の中で神をないがしろにする人を見分けられるのです

「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか
むしろ、主の御声に聞き従うことではないか
見よ、聞き従うことはいけにえにまさり
耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」
(サムエル記上15章22節)


心の伴わない「形式の信仰」は
長年教会に来ている熱心な人にもあり得ることです
自分の誇りや面子が第一になり
「神に聞く」ということの意味を考えないで
ただひたすら形を守る信仰に捕らわれていると
いつの間にか神から喜ばれない人になって行きます
ここがサタンの狙いであり
わたしたちの信仰をどうにかしてダメにしようとして
色々揺さぶりをかけてくるのです

王としての油を注がれ
サウルから命をねらわれながらも決して彼を殺さないダビデは
長い試練の時を神の助けと共にくぐりぬけていきます
サウルから逃げているというのに
わざわざケイラの町を救うという目立つことをさせられ
案の定サウルに見つかって追いかけられ
しかも助けたはずのケイラの人からも裏切られるという
何とも理不尽なところを通されながら
それでもダビデは常に神に聞き従った結果
「サウルは絶え間なくダビデをねらったが
神は彼をサウルの手に渡されなかった」

ということになりました

わたしたちの人生にも
人の予測とは全く違うことがよく起こります
自分が良い気持ちでしたことでさえ恩を仇で返され
危険にさらされることもあるでしょう
世の中には多くのワナがあり
自分の考えだけで進むとワナに陥るかもしれません
ダビデが常に神に聞いたように
わたしたちも神に祈る時を持ち
自分がどう行動すべきか冷静に判断することが大切です

困った時には教会で相談し、また自分でも祈った先に
どのような道が開けてくるかを待ちましょう
そこに明確な答えがなくても
開かれた道を進めばいいのです

開かれた道にも不安があるかもしれませんが
戦いの日々の中でも神と共にあることを信じていく時
神は必ず味方となって助けてくださいます
ダビデはそのような日々の繰り返しの中で成長していきました

神の言葉に従う人生には
すべてのことが相働いて益となります
信仰者でありながら、心の中で神を捨てたサウルのようにならず
どんな時も神の救いに希望をおいて進んだダビデに習い
各々が置かれているところで
心から神を信じる信仰に目覚めていくことができますように



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