今週のみことば


10月21日
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「ダビデは『わが子ソロモンは、主のために壮大な神殿を築き
その名声と光輝を万国に行き渡らせるためにはまだ若くて弱い
わたしが準備しなければならない』と言って
死ぬ前に多くの準備をした
ダビデはその子ソロモンを呼び
イスラエルの神、主のために神殿を築くことを命じて、ソロモンに言った
『わたしの子よ、わたしはわたしの神
主の御名のために神殿を築く志を抱いていた
ところが主の言葉がわたしに臨んで、こう告げた
『あなたは多くの血を流し、大きな戦争を繰り返した
わたしの前で多くの血を大地に流したからには
あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない
見よ、あなたに子が生まれる
その子は安らぎの人である
わたしは周囲のすべての敵からその子を守って、安らぎを与える
それゆえ、その子の名はソロモンと呼ばれる
わたしは、この子が生きている間
イスラエルに平和と静けさを与える
この子がわたしの名のために神殿を築く
この子はわたしの子となり、わたしはその父となる
わたしはその王座を堅く据え、とこしえにイスラエルを支配させる』」
(歴代誌上22章5-10節))

サムエル記下7章には
戦いが一段落して安らぎを与えられたダビデ王が
主のために神殿を築きたいと願ったことが記されています
その際にも神殿を立てる役目はダビデの子どもであると
預言者を通して語られていますが
なぜダビデが神殿を立ててはならないのかについては
今回のみことばに具体的に出てきます

しかし
ダビデが神殿を立てられない理由は
かなり理不尽なものでした
確かにダビデの生涯は戦いの連続で
多くの血を流したのは事実であっても
その戦いは神の許しの内に起こされたものであって
ダビデが好んで起こしたものではないからです
それでもここでは
数々の戦いがまるでダビデの責任であるかのように語られており
それをまたダビデは文句も言わず受け入れるのです

そもそも神殿というものは
人が自分の栄光のために造るものではなく
神の栄光のために造るものです
だからこそ、神殿に関するすべてのことは神が定め
人はそれに従うのみであることを
ダビデはよく知っていたのでしょう
そして
実際に彼はこうして従う姿を後世に残しました

一般的に人間は
自分の人生を、ああでもないこうでもないと自分で考え
思い通りにしようとしますが
その多くが思うようにはいきません

たとえ相手が自分の子どもであっても
良かれと思ってやってきたことが裏目に出たり
その結果
「子育てに失敗した」と嘆く人の何と多いことでしょうか

”人間が考えても思うようにはいかない”
だからこそ信仰者は神にゆだねるのです
ダビデのように
人生は問題(=敵)との戦いの連続で
数々の問題と戦わざるを得ない現実も
すべては神のご計画のうちにあること
そんな中で
神はダビデを常に守り
戦いに勝利を与えてくださいました

このように
わたしたちにとって一番幸いな道が何であるかを
神はすべてご存じの上で
その道を歩むチャンスも知恵も力も備えてくださいますが
肝心なわたしたち自身がその道を受け入れなくては
自らが幸いを放棄してしまうことになるわけです

自分の思い通りにならないと
人はすぐに「神さまなんかいない」とか「神に見捨てられた」と言います
しかし
神は確かに生きておられる方で
信じる者を決して見捨てることはありません

戦いに明け暮れたダビデの生涯の最後は
長生きをし、穏やかなものでした
いつ殺されてもおかしくない立場に置かれ
しばしば理不尽な目にあっても
どんな時も神に従い
感謝を忘れず
神に希望をおく生涯であったダビデに
信仰者の基本姿勢を見いだして
わたしたちも幸いな道を歩むことができますように



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