今週のみことば
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10月28日
「サタンがイスラエルに対して立ち
イスラエルの人口を数えるように
ダビデを誘った
ダビデはヨアブと民の将軍たちに命じた
『出かけて行って
ベエル・シェバからダンに及ぶ
イスラエル人の数を数え
その結果をわたしに報告せよ
その数を知りたい』
ヨアブは言った
『主がその民を
百倍にも増やしてくださいますように
主君、王よ
彼らは皆主君の僕ではありませんか
主君はなぜ
このようなことをお望みになるのですか
どうしてイスラエルを
罪のあるものとなさるのですか』
しかし
ヨアブに対する王の命令は厳しかったので
ヨアブは退き
イスラエルをくまなく巡って
エルサレムに帰還した」
(歴代誌上21章1-4節))
この「ダビデの人口調査のあやまち」については
サムエル記下24章にも記されており
すでに「4月8日のみことば」で取り上げました
内容は今回も同じで
側近のヨアブに止められても
王の権威で人口調査を強行したダビデは
その後、自分のあやまちを悔いるのですが
神の怒りを招き
今後イスラエルに起こる災いについて
”3年の飢饉(ききん)”か
”3カ月敵に追われること”か
”3日間の疫病”か
どれかを一つを選ぶように命じられるのです
結局ダビデは
自分では選ぶことはできないと神にゆだねたので
神は”3日間の疫病”をくだし
7万人が倒れたところで
災いはストップしました
神ご自身が「もう十分だ」と判断されたからです
さて、今回の箇所は
内容としては最後まで
同じことが記されているのですが
冒頭の部分だけが
サムエル記下24章では
「主は『イスラエルとユダの人口を数えよ』と
ダビデを誘われた」
とあるのに対して
歴代誌では
「サタンがイスラエルに対して立ち
イスラエルの人口を数えるようにダビデを誘った」
とあり、異なっています
このように
ダビデを誘惑したのが「神」あるいは「サタン」と
両方が記されているのを見ると
神の許しのうちにサタンが働き
人間を試みるのだということが分かります
そして
ダビデはその試みに負けて
イスラエルの人口を数えてしまったのでした
以前も記したように
神の側から見た時には
人口調査そのものが問題なのではなく
数を数えることで
国力を誇ることになるのが問題なわけです
イスラエル王国は
神が建てたもの(神のもの)ですが
それがわからなくなると
王は自分の国(自分のもの)だと
勘違いしがちなのです
わたしたちの人生も
神に救われ
神の助けを受けてここまできながら
その感謝を忘れると
自分の財産や権力がどれほどあるのかが気になり
それを誇り、それに頼ることを考え
いつの間にか神に目が向かなくなるでしょう
そんなダビデに対する神の怒りは大きく
イスラエルには災いが下されました
しかし
本来”3日間の疫病”だったはずが
結局とちゅうでストップがかかるところに
愛の神の憐れみを見ることができます
愛の神なら
災いを下さなくてもいいのにとも思いますが
何もなければ
人はやはり神を侮ってしまうのでしょう
愛の神に甘えるのみならず
「神の厳かさ」というものを
わたしたちは心に留めておかなくてはなりません
神を知り、神に救われ
神によってさまざまな人生の戦いに
勝利を与えられながら
人はお金が多ければそれに頼り
あるいは人の力を頼みとします
人の心は弱く
他に頼るものがあれば神を忘れる
その繰り返しであることが
聖書の歴史からは常に教えられるのです
その歴史を通して
わたしたちはそれらを自分のこととして考え
目を留めるべき場所がどこであるかを
改めて考える機会にしましょう
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