今週のみことば


1月21日


「ダビデのしたことは主の御心にかなわなかった」
(サムエル記下11章27節)


アラム軍を撃ち破ったダビデは
続いてアンモン人を滅ぼすためにイスラエルの全軍を送りだしました
しかしダビデ自身はエルサレムにとどまっており
ある日、王宮で散歩をしている時に
美しい女が水浴びしているのを見つけます
彼女はバト・シェバというヘト人ウリヤの妻でしたが
ダビデは彼女を王宮に召し入れ、やがて彼女は妊娠しました
それを知ったダビデは
自分のやったことを隠すために
戦場にいるウリヤを呼び戻し、妻と共に過ごさせようとします
ところが真面目なウリヤは
戦場では将軍ヨアブ以下みな野営をしているというのに
自分だけ妻のいる家に帰るわけにはいかないと言って
ダビデが食事に呼んで酔わせても
家臣たちと王宮の入り口で眠り
ダビデの目論見は全く外れてしまいました
するとダビデは作戦を変えました
そして、今度はヨアブに書状を送り
ウリヤを最前線に送り出させます
書状には
「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」
と書かれていました(15節)

こうしてウリヤは戦死しました
他にもイスラエル兵の中に戦死者が出ましたが
報告を受けたダビデは
「そのことを悪かったを見なす必要はない
剣があればだれかが餌食になる」と告げます
彼にとって邪魔者であったウリヤが死ねばとりあえずよかったのです
しかし
「ダビデのしたことは主の御心にかなわなかった」
ダビデは身勝手な行動のせいで神を怒らせ
そのため生れてきた男の子は
予言者の言葉通り7日目に死んでしまいました
そして
ウリヤが死に、正式にダビデの妻となったバト・シェバとの間に
次の子どもソロモンが生れるのです

さて、ここまで勇敢に戦う姿をクローズアップされてきたダビデにとって
今回のような彼の人間性を疑われる失敗は実に恥ずかしいもので
できれば聖書にも残してほしくないことでしょう
しかし、聖書はどんな人間に対しても
神にとって何が正しいことであるかが記されているので
ダビデだけが特別扱いをされることはありません
他にも
かつてカナンの地に入ったイスラエル人がエリコで戦った際
カナン人の遊女ラハブに助けられ
彼女がその後イスラエルの系図に入ってボアズの母になる事も
イスラエル人ではなかったルツがボアズの妻となり
やがてダビデの祖母となっていくことも
彼女たちの出自からすべてを正直に記している聖書は
人間の不都合な事も含めて正しく記されているからこそ
今日わたしたちが信じるに足りるものなのです

ダビデとて王として認められるまでの間は
ずっとサウルに命をねらわれ逃げ回る日々でした
彼の戦場での戦いは勇ましくても
逃げている彼は格好の良いものではありません
それでも、聖書で一番重要なことは
”すべての栄光は神のもの”であるということです
愛の神はダビデのことをどんな時も見放さず
ヨナタンという助けを送って彼を守り続けました
そのことに感謝しつつ
ずっと神の前に正しく歩んできたはずのダビデでしたが
ここで人間の弱さを表します
バト・シェバへの想いが抑えられなかった彼は
こともあろうに自分の失敗を隠すため罪のない人を殺してしまうのでした

問題が起きた時
どうすればいいのかと人は色々自分なりに策を考えます
ところが
人間の計画に完全はないため、しばしば失敗してしまうわけで
ダビデもウリヤに対して上手くごまかせると思ったことが
実際には失敗しました
そして
この「失敗した後どうするか」が重要でした
つまりそこで更にダビデは失敗を重ねてしまうのです
ダビデのやったウリヤに対する残酷な仕打ちを
預言者ナタンがたとえ話をもってダビデに問う場面が12章にあります
ここでダビデは自分のことを言われているとは気づかず
無慈悲な男に対して「そんなことをした男は死罪だ」と述べています(5節)
その後
その無慈悲な男は自分のことであると知り
ダビデは自らの犯した罪の大きさを悟りました
そんな彼に対して
神は彼の命を取らず、代わりに生まれてきた子どもが死にます
ダビデは大いに嘆きましたが、そのことを受け入れ
次にソロモンが与えられました
こうしてダビデは悔い改め、二度と同じ失敗をしませんでした

「神は計りがたく大きな業を
数知れぬ不思議な業を成し遂げられる
神がそばを通られてもわたしは気づかず
過ぎ行かれてもそれと悟らない」
(ヨブ記9章10-11節)


神がどのような方であるかを
実際わたしたちはよくわかっていません
だからこそ
「神の御心にかなうこと」と「自分の思い」を一緒にしがちです
ダビデはそこで大きな失敗をしました
問題の根本解決よりも体面をとりつくろうことを考えた結果
「神の御心にかなわないこと」をするに至り
預言者から指摘されるまで気づくこともありませんでした

人生に問題がないに越したことはありませんし
それが避けれ通れるものならどんなにいいでしょう
それでも現実には立ち向かわなければならない問題(戦い)が常にあり
その戦いの中で
わたしたちは自分の根本姿勢を見直し、考え方を変えたりと
自分の心の中のかたくなな部分を変えていく努力が必要になります
それでも神は愛の方ですから
各々に対する教育にも愛があって
その愛を知るほどわたしたちは神が分かり
神の憐れみにすがって生きるしかないことを悟るのです

どんな人でも自分だけで戦うには力がなく
力は神から来るものと知って、神に用いられれば
力を発揮することができます
「全ての栄光は神のもの」
その神に対してどのような心がけで歩んでいくことが大切なのかを
ダビデの失敗を通して学んで行きましょう



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