今週のみことば


2月18日


「いけにえをささげるにあたって、アブサロムは使いを送り
ダビデの顧問であるギロ人アヒトフェルを彼の町ギロから迎えた
陰謀が固められてゆき
アブサロムのもとに集まる民は次第に数を増した」
(サムエル記下15章12節)

「アヒトフェルがアブサロムの陰謀に加わったという知らせを受けて、ダビデは
『主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください』と祈った」(31節)

ダビデ王の知恵袋であった顧問のアヒトフェルは
アブサロムにそそのかされてダビデを裏切りました
その頃、オリーブ山の坂道をはだしで泣きながら上っていたダビデは
この裏切り行為にショックを受け、神に祈ります
『主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください』

アヒトフェルという人は大変な知恵者で
「そのころ、アヒトフェルの提案は、神託のように受け取られていた」
と、16章23節に記されているように
彼の言葉は神託、つまり神にお告げのような扱いでした
そんなすごい人材だからこそアブサロムは彼を自分の方に招き
アヒトフェルもその方が自分にとって得だと思ったのでしょう
アブサロムの側で顧問に就任するのです

頼りにしていたアヒトフェルの裏切りを知ったダビデの所に
今度は友人フシャイが、ダビデと行動を共にするためやってきます
しかしダビデは彼を同行させず
スパイとしてアブサロムのもとへ送りこむのでした

「神を礼拝する頂上の場所に着くと、アルキ人フシャイがダビデを迎えた
上着は裂け、頭に土をかぶっていた
ダビデは彼に言った
『わたしと一緒に来てくれてもわたしの重荷になるだけだ
都に戻って、アブサロムにこう言ってくれ
”王よ、わたしはあなたのしもべです
以前、あなたの父上の僕でしたが、今からはあなたの僕です”と
お前はわたしのためにアヒトフェルの助言をくつがえすことができる」(15章32-34節)


こうしてフシャイは
ダビデのために命をかけてアブサロムの所に潜入しました
アブサロムは自分の前に「王様万歳」と言いながらやってきたフシャイを見て
ダビデを裏切ったのだと思い、自分の部下に迎えます

その後アブサロムは
これから父ダビデ王をどのように攻めたらいいか
アヒトフェルに知恵を求めました
そこでまず彼は
ダビデが王宮に残した10人の側室の所へアブサロムが入るよう提言しました
父の妻たちを自分のものにすることは
アブサロムが王宮で王になったとのアピールになるからです

またアヒトフェルは
今夜のうちに1万2千の兵と出発し
疲れているダビデ一行を襲えば相手はひるんで兵は散るだろう
そこでダビデ一人を討ちとった後
残りの兵士を連れてかえってアブサロム側の兵士にする
との作戦を提案しました

この案は
アブサロムにもイスラエルの長老たちにも正しいと思われるものでしたが
ここでアブサロムはいきなり「フシャイの意見も聞いてみよう」と言うのです
そこでフシャイはアヒトフェルの案に反対する案を出しました
彼は、ダビデが戦術に秀でた勇者であることを強調し
ここは慎重に行動した方がいいと提案します
そして、まずはアブサロムのもとに全イスラエルの兵を集結させ
その後アブサロムが全軍を率いてダビデを襲う
という案を出します
これはダビデが逃げるための時間かせぎができる案でした
すると、アブサロムもイスラエルの長老たちも
アヒトフェルの案を捨ててフシャイの案を採用したのです
「アヒトフェルの優れた提案が捨てられ、アブサロムに災いがくだることを
主が定められたからである」(17章14節)

こうしてダビデが泣きながら祈った
『主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください』との祈りは聞き届けられました

その後フシャイは
彼と同じくスパイとしてアブサロム側に入り込んでいる祭司たちに事の詳細を教え
祭司の息子たちが密偵としてダビデの所に行き
ダビデとその一行は夜のうちにヨルダン川を渡らなくてはならないと知らせます
ダビデ一行はその言葉に従って全員が夜明けまでにヨルダン川を渡りました

一方、自分の提案が実行されなかったと知ったアヒトフェルは
ショックを受けて自分の家に帰り
家の中を整えた後、首をつって死んでしまいます
こうしてダビデからもアブサロムからも
神託を語る知恵者として用いられたアヒトフェルは
自ら滅びて行くのでした

この一連の出来事は
すべてのことは神の采配の下にあることを示しています
どんな知恵者の優れた戦略も
それが採用されなければ意味がありません
そして、アブサロムの心に働きかけて
アヒトフェルの提案を却下させたのは神です

一方、神に用いられたのはダビデの友人フシャイでした
彼は命をかけてダビデのためにアブサロムの元に潜入し
ダビデたちが助かる方法を考えて提案します
アブサロムはそんなフシャイのことを疑いもせず信じ
彼の提案を採用するのです
それもまたすべては神によるものでした

「人の心には多くの計らいがある
主の御旨のみが実現する」
(箴言19章21節)

人はいつか「おのれ」を知らなくてはなりません
ダビデは神から選ばれ、油注がれた王ですが
アブサロムは自らが勝手に王になろうとした者です
そのために彼は神に愛されたダビデを殺そうとし
そのわきまえのない行動ゆえに自滅していくのでした

ダビデもアブサロムもどちらも美しく、共に魅力のある人であっても
両者の違いは歴然としています
ダビデは神を畏れ
その言葉に聞き従うことを第一として歩んできたので
彼には常に命をかけてダビデを守る仲間がいました
その代表がサウルの息子ヨナタンであり
今回のフシャイもそういう存在です
しかし
自分を誇り、神を畏れなかったアブサロムには
そのような存在がいませんでした

ダビデが人々を魅了したその人柄は
その心に神を畏れ信じ従うところから生まれています
神がどのようなかたであるかを知っているダビデは
分別を持つ、つまり物事を悟っている人でした
彼は王としての権力でもって人を脅して従わせたのではなく
その神から来る魅力で人を引き付けたわけです

「主を畏れることは知恵の初め
聖なる方を知ることは分別の初め」
(箴言9章10節)


人間は誰もが年をとり衰えていきます
それは言わば”別れの時”であり
人の面子も誇りも通用しない世界なわけですが
それをいかに受け入れていくかは
いかに神に立つ歩みができるかと同じこと
つまり、信仰なくしてはできないことです

与えられたり失ったりと色々あっても
神がなされることを受け入れるダビデの姿は
おのれをわきまえた信仰者のあるべき姿です
人は弱く、決して完全ではないので
病気になることも自分で防ぐことはできません
しかし、例え病気であっても何かできることがある
何かに用いられることがある
それは神の恵みがあるからです
その恵みを知り、感謝している人は
神に対して恥ずかしい行動はできません
人生はけっして思うようにはいきませんが
その神の教育を受け入れて行く人には
神がどのようなかたであるをを知る機会が与えられるでしょう

ダビデはここまで数え切れないほどの神の助けを体験してきました
そして、やがてこのアブサロムとの戦いにも勝利するのです



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