今週のみことば


2月25日


「兵士たちはイスラエル軍と戦うために野に出て行った
戦いはエフライムの森で起こり、イスラエル軍はそこでダビデの家臣に敗れた
大敗北で、その日、一万人を失った
戦いはその地の全面に広がり
その日密林の餌食になった者は剣が餌食にした者よりも多かった
アブサロムがダビデの家臣に出会った時、彼はらばに乗っていたが
らばが樫の大木のからまりあった枝の下を通ったので
頭がその木にひっかかり、彼は天と地の間に宙づりになった
乗っていたらばはそのまま走り過ぎてしまった」
(サムエル記下18章6-9節)

ヨルダン川を無事に渡り終えたダビデ一行は
アブサロムの率いるイスラエル軍と戦う準備を始めます
その地では、ダビデに味方をする者たちが現れて
食事や必要なものを差し出してもくれました

作戦を立てるにあたり
ダビデは兵士を3つの組に分け
それぞれの部隊を
ヨアブと、ヨアブの弟アビシャイと、ガト人イタイの指揮下に置きます
その上でダビデ自身も一緒に出陣しようとしますが
兵士に止められ、町にとどまることになりました
その際、ダビデは
ヨアブ、アビシャイ、イタイに対して
『若者アブサロムは手荒に扱わないでくれ』と頼みます

その後、ダビデの兵士たちはイスラエル軍に対して大勝利をおさめますが
樫の木の枝に自慢の髪の毛が絡まって宙づりになっているアブサロムを見つけ
それを放置したままヨアブに知らせに行きました
兵士たちはダビデがアブサロムのことを
”手荒に扱わないでくれ”と頼むのを聞いていたからです
そこで、その報告を聞いたヨアブは
自分が行って、アブサロムを刺し殺してしまうのでした

「ダビデは身を震わせ、城門の上の部屋に上って泣いた
彼は上りながらこう言った
『わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ
わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった
アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ』」(19章1節)


ダビデの命を守るために戦ってきた兵士たちは
その敵が滅びたことを喜びましたが
ダビデは大切な息子が死んだ嘆きで心がいっぱいになり
帰還兵たちを出迎えることもせず、ずっと泣いていました
それをヨアブは非難します

「ヨアブは屋内の王のもとに行き、言った
『王は今日、王のお命、王子、王女たちの命、王妃、側女たちの命を救った
あなたの家臣全員の顔を恥にさらされました
あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるのですか
わたしは今日、将軍も兵士もあなたにとっては無に等しいと知らされました
この日、アブサロムが生きていて、我々全員が死んでいたら
あなたの目に正しいと映ったのでしょう
とにかく立って外に出、家臣の心に語りかけてください
主に誓って言いますが、出て来られなければ
今夜あなたと共に過ごす者は一人もいないでしょう
それはあなたにとって
若い時から今に至るまでに受けたどのような災いにもまして
大きな災いとなるでしょう』
王は立ち上がり、城門の席に着いた
兵士は皆、王が城門の席に着いたと聞いて、王の前に集まった」(19章6-9節)


アブサロムの死を嘆くあまり
王としての役割を放棄していたダビデは
ヨアブの言葉を聞いて、人々の前に出てきました
この後ダビデは
イスラエル人から再び王として迎えられることになります

ダビデにとってアブサロムは自分の命をねらう敵であっても
愛する息子であることに変わりはありませんでした
しかし、ダビデは、神が選んだ王です
王には王としてすべきことがある
それは、ダビデに従って戦ってきた人々をねぎらう事でした
もしそれをしなければ
彼はもう王として信頼されなくなるでしょう

一方、わたしたちクリスチャンも
クリスチャンとして神に対してするべきことがあります
それは
どんなに辛くても不安があっても
自分の感情を殺して、自分に定められた神の道を歩むこと
そして
こうして前を向いて進んでいくために信仰が必要なのです

世の中では、信仰は弱い人がするものだと言われますが
どんな時も神に立つという強い心を持つ人でなければ
信仰することはできません
神に対して気持ちがなえたら
神に望みをおくことも、あがめることもできないからです

もうダメだと思う時、この人生に絶望する時も
クリスチャンは神にあって前進するという思いを捨ててはいけません
退くことは機会を失うという事で
ますます気持ちはなえてしまいます
戦いはタイミングを逃さず動く時に勝利があり
それを自分の感情で捨ててしまうのは
神を見ていないからです

信仰なんてどうでもいいという人は
神の偉大さを知らず、知ろうともせず、神の業が分からない人ですが
そういう人もまた、何かに頼ろうとし
多くの人はお金を頼りにしようとするでしょう

お金は暮らしに豊かさを与えてくれてるものであっても
心の豊かさを奪われる事も多く
人間はお金をたくさん持つと
信仰者でさえ神よりもお金に頼るようになりがちです
しかし
そのようになっている姿に自分は気づかないのです

ダビデがアブサロムの死にショックを受けて
物事を正しく判断できなくなったように
人の心は情に流され
”あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるのですか”
問われるような状況に陥りやすいものです

わたしたちは、たとえどんな所に置かれたとしても
神を信じ、神に望みをおいて
自分が今するべきことは何なのかをよく考えて
前進していきましょう



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