今週のみことば


3月4日


「ダビデはユダのすべての人々の心を動かして一人の人の心のようにした
ユダの人々は王に使者を遣わし
『家臣全員と共に帰還してください』と言った」
(サムエル記下19章15節)

アブサロムの死後、イスラエルの人々の間には
再びダビデを王として迎える話が起こり
それを聞いたダビデはユダの長老たちに人を遣わして
イスラエルが王を王宮へ連れ戻そうとしているのに
ユダは後れをとるのかと問いただします
するとユダの人々の心は一致して
ダビデとその家臣全員のエルサレム帰還を望んだのでした

こうしてダビデ一行はエルサレムに向けて帰途につくのですが
ヨルダン川まで来たところでユダの人々は王を迎え
川を渡るのを助けようとしました
その中には16章で登場したサウル一族出身のシムイもいて
彼は以前ダビデがアブサロムに追われて逃げている時には
ダビデを呪った人物ですが
今度はダビデが再び王として帰還すると聞き
手のひらを返したように今度はダビデたちが川を渡るのを助け
以前の罪に対して許しを乞うのでした
それに対してダビデは『お前を死罪にすることはない』と約束します

また、ヨナタンの息子メフィボシェトも王を迎えに来ていました
彼については同じく16章でダビデを裏切っていると
彼の家臣ツィバがダビデにウソを言っており
そのためダビデは
メフィボシェトの地所をすべてツィバのものにすると約束していました
ところがここでメフィボシェト自身から真相があかされたので
ダビデはメフィボシェトとツィバの二人で地所を分け合うようにと命じます
しかしメフィボシェトは
ただダビデが無事に帰ってきたことのみを喜んでいて
もはや地所などすべてツィバの物になってもかまわないというのでした
ダビデの命をねらったサウルの孫である彼は
サウルとヨナタンの死後
ダビデから多くの施しを受けた恩を忘れていなかったからです

次に、ギレアド人バルジライという人物が登場します
彼は17章27節に登場しており
アブサロムに追われるダビデとその一行がヨルダン川を渡ってマハナイムに着いた時
食料や寝具など、生活に必要なものをすべてさし出した人でした
(他にはアンモン人ナハシュの子ショビ、アミエルの子マキルの名が記されています)
ここマハナイムでダビデは会戦の準備をし
その後アブサロム率いるイスラエル軍に勝利するわけですが
ダビデを助けたバルジライ達の行為は命がけでもあったのです

「ギレアド人バルジライはヨルダン川で王を見送るためにロゲリムから下り
王と共にヨルダン川まで来ていた
バルジライは高齢で80歳になっていた
彼は大層裕福で、マハナイム滞在中の王の生活を支えていた
王はバルジライに言った
『わたしと共に来てくれないか
エルサレムのわたしのもとであなたの面倒を見よう』」(19章32-34節)


いくら裕福とは言え、大変な人数に及ぶダビデの一行を
危険を冒してまで養ってくれたことは
ダビデにとって感謝してもしきれないことでした
そこでダビデはこの恩人を王宮に招き、最後まで面倒を見ようとしたのです
しかしバルジライは、その申し出を高齢を理由に辞退し
代わりに息子のキムハムを行かせて下さいと頼みます
「王は言った『キムハムにわたしと共に来てもらおう
キムハムには、お前の目に良いと映るとおりにしよう
お前にはお前の選ぶとおりにしよう』」(30節)


その後のキムハムの扱いについては
列王記上2章7節において
ダビデがソロモンに対して以下のように遺言しています
「ギレアト人バルジライの息子たちには慈しみ深くし
あなたの食卓に連なる者とせよ
彼らは、わたしがあなたの兄アブサロムを避けて逃げたとき
助けてくれたからである」


これまでもダビデは自分を助けてくれた人に対して
必ず恩に報いる行動をしています
それは、そうすることが神の心だからです
そして、わたしたちもこの心を学んでいかなくてはなりません

わたしたちが今日まで生かされてきたのは
自分の力によるものではなく
有形無形の助けがそこにあったからです
こんなことは大したことじゃない・・・
そう思える小さな出来事であっても
もしそれがなかったらどんなに困っていただろう・・・と
そういうことは実はたくさんあっても
過ぎてしまえば忘れてしまいがちではないでしょうか

それは、人に対しても
神に対しても同じこと
受けた恩に対して感謝を忘れず
必ず恩に報いていく
その思いを心に留めて生きて行くことは
神に喜ばれることであり
信仰者として成長することにつながります

ダビデの人生は戦いの連続で
都合の良い事ばかりが起きているわけではないように
「神の恵み」は、常に人の都合の良い事ばかりではありません
それでも、辛い日々の中でも必ず助けを体験することができるので
その「感謝」を忘れないでいることができたら
「感謝」が信仰を強くし
それはやがて、わたしたちの大きな支えになります
そして
これが神と共にある者の強みであり希望なのです

ダビデがアブサロムから逃げている間には
彼を命がけで助けた人もいれば
呪った人や、自分の利益のために利用した人もいました
人間の心は弱く
世の中には善人を装った悪い人も存在ます

聖書には
同じ畑で良い麦も毒麦も共に育つことを神は許している
と記されているように
わたしたちの人生にあっても周りには色んな人がいて
毒麦のような存在もあるでしょう
この毒麦は、自分が毒麦であることを知りません
人はサタンに心が支配されていてもわからないからです
だからこそわたしたちは
自分を常に正しいと過信せず
自分自身が毒麦にならないように
正しさの基準として聖書のみことばを頼りとし
自分の生き方にそれを反映させて行く必要があります
そして
今どんな辛い問題の中にあっても
これまでの「感謝」を原動力に
信仰を持って前向きに進んでいきましょう
それが神に対する恩返しであり
神に喜ばれる者としてのクリスチャンの生き方です



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