今週のみことば


3月25日


「ダビデは、主がすべての敵の手から
またサウルの手から彼を救い出された日に
次の言葉をもって主に歌をささげた
『主はわたしの岩、砦(とりで)、逃れ場
わたしの神、大岩、避けどころ
わたしの盾、救いの角、砦の塔
わたしを逃れさせ、わたしに勝利を与え
不法から救ってくださる方
ほむべき方、主をわたしは呼び求め、敵から救われる』」
(サムエル記下22章1-4節)


この22章は51節までの全体が「ダビデの感謝の歌」になっています
ダビデの生涯は、神から王として選ばれたがゆえに
苦労の多いものでした
王として任命される前にも試練があり
王になってからも苦労の連続で
いつも問題が山積し、そのたびに彼は神を頼り
試練を乗り越えて行ったのです

外にはペリシテ人らの敵がいて
内にもサウルやアブサロムが敵となりダビデに襲いかかる時も
神はダビデの行くべき道を示し、祝してくださいました
こうしてダビデは戦いを通して信仰が成長し
やがてその信仰はソロモンに伝えられていきます
そして、今こうして聖書を読むわたしたちも
ここまで神を信じ、望みを持っていけるものかと感心する一方で
同じ神の救いを受けることができる望みが与えられるのです

人間は戦い(問題)があるほど神に祈り、神との関わりが増えます
そんな人生を振り返る時には
ただ大変だった、苦労したと嘆くよりも
神がここまで助け導いてくださったことに目を留めて
恵みによって生かされていることに感謝するのが大切なのではないでしょうか

大変な試練の中で神の助けを体験しながら生かされてきたダビデは
詩篇の中に多くの感謝の詩を残しています
神を体験したダビデの詩から
わたしたちもその同じ道を歩む者として
試練の中にも、神の愛によって生かされていることを実感し
感謝できる者でありたいです

「主よ、あなたはわたしのともし火
主はわたしの闇を照らしてくださる」(29節)

「すべて御もとに身を寄せる人に
主は盾となってくださる」(31節)

「あなたは救いの盾をわたしに授け
自ら降り、わたしを強い者としてくださる」(36節)


神にあって進んでいけば
どんな大変な所も大丈夫なのだと
ダビデはその体験をさまざまな言葉で表現しました
このようにわたしたちが色んな事に感謝していけたらいいのですが
実際にはなかなか難しいことでしょう
それは人間には「争いをおこす心」があって
それを理性で抑えることが難しい場合も多いからです

ダビデは多くの戦いを経験している一方で
決して好戦的な人ではありませんでした
彼は自分の感情に従って行動せず
いつも「神にあっての勝利」を願い
ただやたらと相手を攻撃することは避けています

神はダビデに「物事を見極める目」を与えられたので
「神の側に立つ判断」をすることができました
それでも、もし自分の感情のままに行動するなら
「争いをおこす心」が先だって
正しい行動もできなかったでしょう

「神の側に立つ判断」が自分の思い(感情)と異なる場合も
その思いを自制していくのが信仰です
そして
正しい判断の先に、勝利があるのです

「人間の心は自分の道を計画する
主が一歩一歩を備えてくださる」
「人間の前途がまっすぐなようでも
果ては死への道となることがある」
(箴言16章9、25節)


人が正しいと思う道が、神が正しいとされる道とは限らず
その心が神に向かず、自分の欲望や面子の方に向いていれば
その先は決して良い結果にはなりません

だからわたしたちは自分がいつも正しいと過信せず
へりくだりの心をもっていかなくてはならない
そして
その心を守っていくのが信仰であり
そうすることでわたしたちは神の助けを得て
生かされていくのです

「何を守るよりも、自分の心を守れ
そこに命の源がある」
(箴言4章23節)


「主をおそれることは諭(さと)しと知恵
名誉に先立つのは謙そん」
(箴言15章33節)


人間が心(感情)を持っている限り
人の争いは絶えません
この争いには、自分の心の中の戦い(葛藤)もあれば
対外的な戦いもあります
どちらにしてもわたしたちはいつも争いと隣り合わせではありますが
神をおそれ、信仰を守っていくことで
どのような戦いにも勝利できることを知り
いよいよ神に近づき、従っていく者として
成長することができますように



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