今週のみことば
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4月8日
「主の怒りが
再びイスラエルに対して燃え上がった
主は『イスラエルとユダの人口を数えよ』
とダビデを誘われた
王は直属の軍の司令官ヨアブに命じた
『ダンからベエル・シェバに及ぶイスラエルの
全部族の間を巡って民の数を調べよ
民の数を知りたい』
ヨアブは王に言った
『あなたの神、主がこの民を
百倍にも増やしてくださいますように
主君、王御自身が
それを直接目にされますように
主君、王はなぜ、
このようなことを望まれるのですか』
しかし、ヨアブと軍の長たちに対する
王の命令は厳しかったので
ヨアブと軍の長たちはダビデの前を辞し
イスラエルの民を数えるために出発した」
(サムエル記下24章1-4節)
ダビデは「神の誘い」にのって
部下に人口調査を命じました
ヨアブと軍の長たちは
9カ月と20日をかけて全国を巡り
「剣を取り得る戦士」が
イスラエルに80万人
ユダに50万人いることを
ダビデに報告します
イスラエル王国の戦力は
計130万人もいることがわかりました
しかし
この人口調査について
ダビデは間違いであったと悔い
神の前に許しを乞います
ところが神の答えは厳しいものでした
神は預言者ガドに臨み
民の人数を数えた罪の代償として
「三つの事」を示し
その中から一つを選ぶように命じるのです
「ガドはダビデのもとに来て告げた
『7年間の飢饉があなたの国を襲うことか
あなたが3カ月間敵に追われて逃げることか
3日間あなたの国に疫病が起こることか
よく考えて、わたしを遣わされた方に
どうお答えすべきか決めてください』
ダビデはガドに言った
『大変な苦しみだ
主の御手にかかって倒れよう
主の慈悲は大きい
人間の手にはかかりたくない』」(13‐14節)
こうしてダビデは
「三つの事」について自分で選ぶことをせず
すべてを神にゆだねます
すると神は「3日間の疫病」を国に下し
その結果7万人もの人が死にました
御使いは更に
エルサレムの人々を滅ぼそうとしましたが
そこで神からストップがかかります
「主はこの災いを思い返され
民を滅ぼそうとする御使いに言われた
『もう十分だ。その手を下ろせ』」(16節)
この時、ダビデ自身も神に祈っていました
「罪を犯したのはわたしです
わたしが悪かったのです
この羊の群れが何をしたというのでしょうか
どうか御手がわたしとわたしの父の家に
くだりますように」(17節)
その日、預言者ガドが来て
エブス人アラウナの麦打ち場に上って
主のための祭壇を築くように、と告げます
ダビデがやって来たのを見て驚いたアラウナは
事の次第を聞くや
すぐに無償で
場所も捧げる牛も提供しようとしましたが
ダビデは『わたしは代価を支払って
あなたから買い取らなくてはならない』と主張し
彼から銀50シェケルで
麦打ち場と牛を買いました
そしてそこに祭壇を築き
焼き尽くす捧げ物と
和解の捧げ物をささげます
こうして
イスラエルに下った疫病はやんだのでした
さて、元はと言えば「神の誘い」によって
実施された人口調査ですが
民の数を数えることが
どうして罪になるのでしょう
そして
部下のヨアブも疑問視したこの人口調査を
なぜダビデは
そのまま進めてしまったのでしょうか
ここでは
数を数えたこと自体が問題なのではありません
数を数えたことで自国の人数(兵力)がわかると
その兵力に頼るようになる半面
神を頼らなくなるのが人間の常であり
そこが一番の問題なのです
信仰者であっても
財力や勢いをもつようになると
自ずと神を必要としなくなるケースは多く
表向きは信仰しているようでも
心の中では神が第一ではなくなってしまう事は
残念ながらよくあることなのです
イスラエルは神が作った国なので
国の理念も方針も神が定め
神が全てを導き
国民はすべて
神に従っていくべき立場にあります
そこに立てられたダビデ王といえど
神の国を治めていくために置かれた
代務者にすぎず
イスラエルにとって本当の王は
神ご自身なわけです
ところが
「神の誘い」にのって
人口調査をしてしまったダビデには
自分の国がどれだけ大きくなったのか
数えてみたいという思いがあったのでしょう
国が自分の物であるかのような思いは
けっして持ってはいけないものですが
心を見る神は
ダビデの思いをここで試されたのでした
もしこの先ダビデがイスラエル王国を
自分の国だと勘違いすれば
自分が崇められればいい
自分さえよければいい
と思うようになり
イスラエルは「神抜きの国」になっていくでしょう
神のいない国は
正しい歩みをすることはできません
神が見ていないと思えば
人は悪いことでも平気で出来るので
こうして国は滅びの道をたどっていくのです
そしてこれは
わたしたちの信仰生活にも重なることです
自分の考え主導で人生を進めていくと
ある程度までは行けても
どこかで行き詰る時が来る
それでも無理をして進んでいけば
間違った道に進み
やがて人間としての品性が
下がる行動をすることになっても
もはや自分で自分を
どうすることもできなくなるところにまで
落ち込んでしまうのが人間の弱いところです
歴史のある教会ほど
信仰歴の長さを誇る信者がいますが
信仰歴が長くても
神抜きの信仰は役に立たないばかりか
人生に災いをもたらします
貧しい時代には神を求めても
豊かになると神を忘れ
あるいは
神を自分の欲のために利用するような
心のない信仰をする人も出てきます
このように
人は自分が安泰だと思った時こそ
その心が問われますが
ダビデはまさにそこを付かれたのでしょう
民の数を数えた後になって
ダビデはその罪について悔いています
そして、それをすべて自分の責任として負い
3種類の災いから一つ選ぶことも
すべて神に任せ
本当に起こってしまった災いを見て
本来は国民ではなく自分が罰せられるべきだと
祈るのでした
罪を犯してしまったダビデでしたが
間違いに気づいた後は
すべてを神にゆだねる信仰者の
姿になっています
「主の御手にかかって倒れよう
主の慈悲は大きい」
神は愛の方ですから
実際に災いを途中で止めて
ダビデの祈りを聞き入れられました
それでも7万人もの人を失うという犠牲は
大きなものです
自分の間違いが
先でどれほどの犠牲を生むのか
人は何も考えずに
心の向くまま行動することが多いものですが
わたしたちが何を見て
何に価値観をおき
何を信じて生きているのか
その心が常に見られていることを心に留めて
神を忘れない歩みをすることができますように
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