今週のみことば


4月15日
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「ハギトの子アドニヤは思い上がって、『わたしが王になる』と言い
戦車と馬と五十人の護衛兵をそろえた
彼は父から、『なぜこのようなことをしたのか』ととがめられたことが、一度もなかった
彼の体格もまた堂々としており、アブサロムの次に生れた子であった
アドニヤはツェルヤの子ヨアブと祭司アビアタルに話をもちかけ
この二人の支持を得た
しかし、祭司ツァドク、ヨヤダの子ベナヤ、預言者ナタン、シムイ、レイ
およびダビデの勇者たちはアドニヤにくみしなかった」
(列王記上1章5-8節)


ダビデが年老いて、その人生の終わりが近くなった頃
ダビデの四男であるアドニヤが勝手に自分が王になると宣言します
彼はダビデ軍の司令官ヨアブと祭司アビアタルを仲間に引き入れ
自分の兄弟の王子たちや
王の家臣であるユダの人々を集めて宴を開きましたが
ソロモンや預言者ナタンたちはそこに招かれませんでした
その宴の中で祭司アビアタルは『アドニヤ王万歳』と叫び
人々にアドニヤが次期王であることを宣伝したのです

この事態を知った預言者ナタンは
ソロモンの母であるバト・シェバの所に行き
これからの行動についての知恵を授けます

「ナタンはソロモンの母バト・シェバに言った
『お聞きになってはいませんか
我らの主君、ダビデの知らないうちに
ハギトの子アドニヤが王となったということを
あなたの命とあなたの子ソロモンの命が助かるように
わたしの言うことをすぐさま実行しなさい
ただちにダビデ王のもとに行って、こう言いなさい
”わが主君、王よ、はしためにお誓いになったではありませんか
あなたの子ソロモンがわたしの跡を継いで王となり、わたしの王座につくと
なぜアドニヤが王となったのでしょうか”
あなたが王と話し合っている間に、わたしも続いて入り
あなたの言葉を確認します』」(11-14節)

アドニヤの勝手な行動を知らされたダビデは
バト・シェバに対してソロモンが次期王になることを約束し
祭司ツァドク、預言者ナタン、ヨヤダの子ベナヤを呼んで
ソロモンがダビデに代わって王座につくための手続きを指示しました

「王は誓った
『わたしの命をあらゆる苦しみから救ってくださった主は生きておられる
あなたの子ソロモンがわたしの跡を継いで王となり
わたしに代わって王座につく、と
イスラエルの神、主にかけてあなたに立てた誓いをわたしは今日実行する』」(29-30節)


こうしてソロモンは正式に王として油を注がれ、王座についたので
民は『ソロモン王万歳』と叫び
その喜びの声は周りに響き渡りました

更にその声はアドニヤ側にまで届き
アドニヤはソロモンが次期王として油を注がれたことを知ります
そこに招かれていた客たちは大いに恐れて帰っていき
アドニヤもソロモンを恐れて祭壇の角をつかんでいました
そして、自分を殺さないでくれと懇願するのです

それに対してソロモンは
『彼が潔くふるまえば髪の毛一筋さえ地に落ちることはない
しかし、彼に悪が見つかれば死なねばならない』と言って
ひとまずアドニヤを家に帰らせるのでした

アドニヤという人はダビデの息子で
体格も良く堂々としていたと書かれていますが
見かけは良くても、その行動は実に浅はかでした
彼は父親から叱られたことが一度もないとのことなので
甘やかされて育ったのでしょう

そんなあまりに考えのない行動を起こしたアドニヤに
ヨアブと祭司アビアタルが味方したのも愚かなことでした
前回のサムエル記下24章においては
神から数を数えるように誘われたダビデに対して疑問を投げかけたヨアブも
神にあっての正しい判断ができる人であるかのように見えることもありましたが
実は、人に力があると思うとその人を頼ろうとする
つまり権力にすがる人なのだという事がわかります

ダビデが神から選ばれ、油注がれて王になったように
その次の王としてはソロモンがすでに選ばれていました
ところが
思い上がったアドニヤがとんでもない事をしでかしたので
自分のみならず周りも巻き込んで不幸にしていくのです
人間の思い上がりとは何と恐ろしいものでしょうか

一方で
アドニヤの企みを知った預言者ナタンは
すぐにソロモンの母の所へ行き、ダビデを動かします
すんなりとソロモンが次期王になるかと思いきや
思いがけないことが起きたことで
ナタンは預言者としてなすべきことをなし
ソロモンの母バト・シェバはその指示に従いました

わたしたちの人生においても
このような試練は色々と起こります
そんな時には
神の試みについて正しく教える人として預言者が存在し
今は教会があるのです

教会における判断では
すべては神のご計画のうちになされることが前提で
人の勝手な計画は
「思い上がり」から来る場合が多い事を指摘するのですが
実際に思い上がってしまうとそれを受け入れるのも難しいことです

”自分にとって都合のいいことが神の御旨ではない”

わたしたちは常にこの事を心に置いて
イエスさまが「真の牧者」であり
わたしたちはその導きに従う羊であることを認識していきましょう

♪エホバは真の牧者(ぼくしゃ)にませば
我には乏しきこといかであらん
緑の牧場(まきば)に静かにふさせ
憩いの水際(みぎわ)に伴いたもう
主の手に引かれていずくへなりとも
御旨のまにまに日々従い行かなん♪


この賛美歌の歌詞にあるように
各々の人生はどこに導かれるのかわからないとしても
神を信じ、頼っていけば
必ず羊は草も水もあるところに連れて行かれる
つまり必ず生きていけるという事です
そう信じて
希望をもって進んでいきましょう



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