今週のみことば
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6月3日

「女王は王に言った
『わたしが国で、あなたの御事績と
あなたのお知恵について聞いていたことは
本当のことでした
わたしは、ここに来て
自分の目で見るまでは
そのことを信じてはいませんでした
しかし、わたしに知らされていたことは
その半分にも及ばず
お知恵と富はうわさに聞いていたことを
はるかに超えています
あなたの臣民はなんと幸せなことでしょう
いつもあなたの前に立って
あなたのお知恵に接している家臣たちは
なんと幸せなことでしょう
あなたをイスラエルの王位につけることを
お望みになったあなたの神
主はたたえられますように
主はとこしえにイスラエルを愛し
あなたを王とし
公正と正義を行わせられるからです』」
(列王記上10章6-9節)

この章は
シバの女王の
エルサレム訪問について記されています
「シェバ(シバ)の女王は
主の御名によるソロモンの名声を聞き
難問をもって彼を試そうとしてやって来た」
(1節)


彼女は大勢の随員を引き連れ
たくさんの貢物をもってやってきましたが
用意していた質問をソロモンに浴びせるも
ソロモンはそのすべてに解答を与えたので
彼女はその知恵に敬服し
更にはソロモンの建てた宮殿や
そこで働く人々、また全ての物を見て
そのあまりの素晴らしさに
息も止まる思いであったと記されています

こうして噂の実態を確認した女王は
神を崇めて帰っていくのですが
それに際しソロモンは彼女に多くの贈り物をし
女王が願うものは何でも望みのまま与えた
とあります
それはソロモンの財力の証でもありました

このシバの女王を驚かせた知恵も財産も
今まで繰り返し語ってきたように
すべては神から与えられたものです
3章の12節において
「見よ、わたしはあなたの言葉に従って
今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える」
と、約束した神は
ソロモンが求めなかった
「富も栄光も与える」と約束し
その結果を
シバの女王は自分の目で見たのでした

自分の得になることを第一に求めず
王としての務めを果たすために
必要な知恵を求めたソロモンは
神を愛するがゆえに
自分も神に愛され、恵まれた人ですが
そのソロモンの栄華が語られる時には
必ずそこに神の栄光を見るべきことが
新約聖書にも記されています

「しかし、言っておく
栄華を極めたソロモンでさえ
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった
今日は生えていて
明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ
神はこのように装ってくださる
まして
あなたがたはなおさらのことではないか
信仰の薄い者たちよ」
(マタイによる福音書6章29-30節)


「また、南の国の女王は裁きの時
今の時代の者たちと一緒に立ちあがり
彼らを罪に定めるであろう
この女王はソロモンの知恵を聞くために
地の果てから来たからである
ここに、ソロモンにまさるものがある」
(マタイによる福音書12章42節)


ここで罪に定められる「彼ら」とは
「よこしまで神に背いた時代の者たち」(39節)
つまり、イエスを陥れようとする
律法学者やパリサイ人たちです
彼らはイエスが神であることを認めず
神であることの「しるし」を見せてくださいと
注文をつけるのですが
信じようとしているわけではありません

かつて
ソロモンの知恵を聞くためにやってきた
シバの女王は
そこで神がどういう方であるかを知りました
ソロモンは確かに栄華を極めたけれど
今ここにソロモンにまさる者がいる・・と
イエスご自身は上記のみことばで
それが自分であることを告げているのです

ソロモンのもとには
知恵を求めて
遠方の国々から相談者が訪れていました
そこでソロモンは
神からの知恵を与えましたが
神を信じる人(信仰のある人)は
それを受け入れても
信仰のない人には
せっかくの知恵も
役に立たないこともあったでしょう
信仰のない人は見るところが違うので
知恵ある言葉も
受け入れることができないからです

イエスを信じない律法学者や
パリサイ人たちは
神がどういう方であるかを知らないので
イエスのどんな言葉も
信じようとはしませんでした

というわけで、わたしたちも
神がどのような方であるかを
知ろうとしない限り
知恵が与えられても
その知恵が
人生に役立つことはないでしょう
それは、自分が知ろうともせず
受け入れることもないからです

神がソロモンに知恵を与えたように
教会にも神の知恵があり
それが神から出たものであるところの
証があります
だからこそ
信じる人は教会に知恵を求め
その知恵を受け入れて進んでいきます

また
ソロモンに
「知恵に満ちた賢明な心」を与えた神は
今わたしたちに神ご自身である「聖霊」を与えて
神がどのような方であるかを
知ることができるようにしてくださいました

あとは
神は常に
信じる者を恵もうとされていていることに
目を留めて
何があっても、どんな時にも
神の知恵を求めて進んでいきましょう
そして
いよいよ神を知るチャンスを持ち
神に喜ばれる者として
成長することができますように



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