今週のみことば
(スマートフォン用ページ)
*****************

7月1日

「すべてのイスラエル人が
王を立てるために
シケムに集まって来るというので
レハブアムもシケムに行った
ネバトの子ヤロブアムは
ソロモン王を避けて逃亡した先のエジプトにいて
このことを聞いたが
なおアジプトにとどまっていた
ヤロブアムを呼びに使いが送られて来たので
彼もイスラエルの全会衆と共に来て
レハブアムにこう言った
『あなたの父上はわたしたちに
苛酷(かこく)な軛(くびき)を負わせました
今、あなたの父上がわたしたちに課した
苛酷な労働、重い軛を軽くしてください
そうすればわたしたちは
あなたにお仕えいたします』
彼が『行け、三日たってからまた来るがよい』
と答えたので
民は立ち去った」
(列王記上12章1-5節)

ソロモンの生前
家臣であったヤロブアムは
預言者アヒヤから
北イスラエルの10部族を治める者となる
との預言を受けたため
ソロモンに命をねらわれて
エジプトに避難していました

ソロモンの死後
イスラエル人は次の王を立てるために
シケムに集まってきましたが
その時ヤロブアムも呼ばれて
民衆と共に
ソロモンの子レハブアムの前に出ていきます
そして
ソロモンの時代には労働が苛酷であったため
それを軽くしてもらいたいと願うのでした

これに対してレハブアムは即答せず
まずソロモンの時代から仕えている
長老たちに相談しました
すると彼らはこう答えました
『もしあなたが今日この民の僕(しもべ)となり
彼らに仕えてその求めに応じ
優しい言葉をかけるなら
彼らはいつまでもあなたに仕えるはずです』
(7節)


ところがレハブアムはこの勧めを受け入れず
今度は自分と一緒に育ち
自分に仕えている若者に相談するのです
彼らはレハブアムに
父ソロモンの時代以上に
労働を過酷なものにするように勧めたので
三日後
ヤロブアムと会衆の前でこう宣言しました
『父がお前たちに重い軛を負わせたのだから
わたしは更にそれを重くする
父がお前たちを鞭(むち)で懲(こ)らしめたのだから
わたしはさそりで苦しめる』(14節)


こうしてレハブアムは
民の願いを聞き入れず
民の心はレハブアムから離れ
神のご計画どおり
イスラエル王国は分裂へと進みます

その後
イスラエルの民はヤロブアムを王として迎え
ユダ族だけがダビデの家に従い
レハブアムは
ユダの町に住む人だけの王となりました

そこでレハブアムは
エルサレムに帰って戦士を集め
王権を奪還するために
イスラエルと戦おうとします
ところが
神の言葉が預言者シェマヤに臨み
イスラエルに戦いを挑んではならない
と告げられたため
レハブアムは戦いを断念するのでした

一方
イスラエル10部族の王となったヤロブアムですが
彼は民の心が再びレハブアムに向くのを恐れて
金の子牛を2体造り
それを民に拝ませることにしました
『あなたたちはもはエルサレムに上る必要はない
見よ、イスラエルよ
これがあなたをエジプトから導き上った
あなたの神である』(28節)


民がエルサレムの神殿に上れば
そこにいるレハブアムに心が移るかもしれない
そうなれば自分は殺されてしまうだろう
ヤロブアムはそれを阻止するために金の子牛を造り
レビ人でない民を祭司にして
更には自ら勝手に造った祭壇に上って香をたきました
こうしてヤロブアムは
神の目に悪とされることを重ねていくのです

ソロモンの死後
このようにイスラエルは
レハブアムの統治するユダ王国と
ヤロブアムの統治するイスラエル王国
に別れるのですが
どちらの王も神に聞かない王でした

最初イスラエルの全会衆が
レハブアムの元に来た時
彼は長老の意見を無視して
自分と気の合う若者の意見を採用しました
ソロモンの時代から仕えてきた長老たちは
神の知恵によってソロモンが国を統治する様子を
見てきた人たちです
そのため彼らの考え方の基本は神にあり
民衆の負担を軽くし
優しくすることが大切だと教えたのです

ところがレハブアムはそれが気に入らなかった
そこで自分と同じ世代の友達に相談すると
長老たちとは反対の意見だったので
それを採用しました
民の心が分からないレハブアムには
そうすることで民がどう反応するか
わかっていませんでした
先のことを考えない行動のツケは
結局自分に返ってきます
こうして民にそっぽを向かれたレハブアムは
今度は武力で取り戻そうとする
その知恵のないやり方には
神からストップがかかります

友達の言葉は大切かもしれませんが
正しさにおいては神の言葉が第一です
自分と同じ意見の人の言葉は
とても聞きやすく受け入れやすいものでしょう
しかし
それに従うと
後の責任は自分で取らなくてはなりません

両方の王とも
自分で良かれと思うことを色々考えて行動し
間違いに気づくことも正すこともないまま
どんどん間違った方向へ進んでいくのでした

「十字架の言葉は
滅んでいく者にとっては愚かなものですが
わたしたち救われる者には神の力です
それはこう書いてあるからです
『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし
賢い者の賢さを意味のないものにする』」
(コリント人への第一の手紙1章18-19節)


「十字架の言葉」とは神の言葉であり
それらは聖書に記されています
そして
そこにある「神の思い(価値観)」を理解し
受け入れる(従う)時に
わたしたちは「神の力」を見ることができるのです

人の知恵(世の知恵)には限界があることも
聖書では教えており
実際に
人の知恵だけは問題はなかなか解決しません

信仰から離れた王が
愚かな歩みをしたことを教訓とし
わたしたちはいかに歩むべきかを
聖書から教えられて
神の導きに従う道を選んでいきましょう


<目次