今週のみことば


7月8日
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「アハブはイスラエルのすべての人々に使いを送り
預言者たちをカルメル山に集めた
エリヤはすべての民に近づいて言った
『あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか
もし主が神であるなら、主に従え
もしバアルが神であるなら、バアルに従え』
民はひと言も答えなかった
エリヤは更に民に向かって言った
『わたしはただ一人、主の預言者として残った
バアルの預言者は450人もいる
我々に二頭の雄牛を用意してもらいたい
彼らに一頭の雄牛を選ばせて、裂いて薪(たきぎ)の上に載せ
火をつけずにおかせなさい
わたしも一頭の雄牛を同じようにして、薪の上に載せ、火をつけずにおく
そこであなたたちはあなたたちの神の名を呼び
わたしは主の御名を呼ぶことにしよう
火をもって答える神こそ神であるはずだ』
民はみな『それがいい』と答えた」
(列王記上18章20-24節)

エリヤがアハブ王に干ばつを預言し
王の前から姿を消してから3年目
神の言葉がエリヤに降りました
神はこれから雨を降らせるので
アハブの前に姿を現すよう命じます

アハブ王と妻イゼベルはバアルとアシェラを信仰し
神の預言者を迫害していました
イゼベルの食卓にはバアルの預言者450人と
アシェラの預言者400人がいましたが
エリヤはアハブに対して
この預言者たちとイスラエルのすべての人々を
カルメル山に集めるよう要求します

集められたイスラエルの人々を前にエリヤは
神かバアルか、どちらを選ぶのか?!と問いかけますが
彼らは何も答えませんでした
そこでエリヤは
バアルの預言者450人を相手に勝負を挑みます

2頭の雄牛が用意され
まずバアル側が一頭を選んで薪の上に置き
朝からずっと『バアルよ、我々に答えてください』と祈りました
しかし何の答もありません
最後には自らの体を傷つけ
狂ったように叫び続けましたが
何も起こりませんでした

その様子を見て
バアルの神は旅に出ているのか?眠っているのか?
と、バアルの預言者をあざけるエリヤ
そして今度は彼が祈る番です

エリヤは民を近くに寄せ
まずは壊された神の祭壇を修復しました
そして薪を並べて雄牛を載せると
その上から3度も水をかけ神に祈ります
すると
神の火が降って
献げ物も薪も石も水さえも焼き尽くしたので
全ての民はひれ伏して言いました
『主こそ神です。主こそ神です』

こうしてエリヤは勝利し
イスラエルの民の心は神に向き
エリヤに命じられてバアルの予言者たちを捕え
全員を滅ぼすに至りました

更にエリヤは
これから雨が降ることをアハブに預言し
その時を待ちます
雨の降る兆候がないかを従者に何度もに見行かせ
ついに七度目になったとき
従者は手のひらほどの小さな雲を見つけました
そして
ついに激しい雨が降り出します

さて、この章では
”あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか”
という言葉がポイントになります
神かバアル(偶像)かどちらかを選べというわけですが
バアルは単に目に見える像であるだけでなく
人の心をわずらわせる(惑わせる)ものですから
偶像に心を寄せると、人は心迷い
正しい事がわからなくなるのです

人にはみな自分の考えや思いがありますが
それがすべて正しいわけではありません
しかし
自分のこだわりが強いと
正しい事が分からなくなり
あるいは正しい事も受け入れられなくなり
そういう「自分の思い」も偶像として心を惑わせるのです

そして
正しい事が分からなくなると
人の歩みは間違った方向へ進み
結果的には「神に恥をかかせる生き方」になっても
それもまたわからない
そんな自分の内側にわいてきた偶像を捨てるには
真の神への信仰が必要です

ヨシュア記24章において
イスラエルの民にヨシュアは宣言しました
それぞれみんな自分の信じる神を選びなさい
ただし、わたしとわたしの家は主に仕える・・・と

せっかくエジプトから出てカナンの地に導かれたというのに
イスラエルの民の心はいつも神から離れ
偶像に向くのでした
そして
その過ちはずっとくり返され
エリヤもここでイスラエルの民に
自分の信じる神を選べというのです

正しい神を捨てるということは
正しい心を捨てるということ
そういう間違いは
人生に不満があると自然にわいてくるので厄介です
あるいは
目先の問題が解決して平安になると
神への感謝も忘れて
信仰もどうでもよくなるかもしれません

アハブ王の時代には
神の預言者は迫害され、祭壇は壊されていました
そして
民の心も神から離れていましたが
エリヤはまず壊された祭壇を修復し
神に対する信仰を立て直すことを始めます

わたしたちの信仰生活においても
教会に長年通っているからといって
その心が必ずしも神に向いているとは限りません
神は常に信じる者のために働いて下さっていても
人は自分の思い通りでないと満足せず
まして目に見えない地味な神では
信じない人も多いものです

エリヤは真の神がどのような方であるかを知っていたので
たった一人で450人のバアルの預言者たちに挑みました
わたしたちも神がどのような方であるかを知れば
自分の心の中にわいてくる不安や不満も
希望へと変えられていくでしょう

神から「雨を降らせる」との言葉を聞いたエリヤは
その約束が成就されるのを待ち
兆候がないかと、従者を何度も見に行かせました
7度目にやっと見えたのは手のひらほどの小さな雲
エリヤはそれに希望を見出だします

わたしたちも
どんな小さな出来事であっても
これまで神の成してくださった業を思い出して
どんな時も必ず助け、幸いに導いてくださる神を信頼し
心の中に起きてくる偶像と戦いながら
正しい道を選んで進んでいきたいものです

「なぜ国々は言うのか
『彼らの神はどこにいる』と
わたしたちの神は天にいまし
御旨のままにすべてを行われる
国々の偶像は金銀にすぎず
人間の手が造ったもの
口があっても話せず
目があっても見えない
耳があっても聞こえず
鼻があってもかぐことができない
手があってもつかめず
足があっても歩けず
喉があっても声を出せない
偶像を造り、それにより頼む者は
皆、偶像と同じようになる」
(詩篇115篇2-8節)




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