今週のみことば
7月22日
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「見よ、一人の預言者がイスラエルの王アハブに近づいてこう言った
『主はこう言われる
”この大軍のすべてをよく見たか
わたしは今日これをあなたの手に渡す
こうしてあなたは、わたしこそ主であることを知る”』
(列王記上20章13節)
アラム(スリヤ)の王ベン・ハダドがイスラエルに攻めてきました
彼は大軍を率いてサマリヤを包囲し、攻撃を加えます
そしてイスラエルの王アハブに言いました
『あなたの銀と金はわたしのもの
あなたの美しい妻子たちもわたしのものである』
アハブは敵の大軍を見て恐れ
その言葉に従いますと言いました
するとベン・ハダドはさらに要求をエスカレートさせ
王の家ばかりか家臣の家にまで入り込み
『あなたの目が喜びとしているものをすべて手に入れ、奪い取る』
と言ったのです
この無茶苦茶な要求に困ったアハブ王は
長老たちに相談しました
すると長老や民たちは
『求めを聞き入れないでください』と願います
そのためアハブはベン・ハダドの使者に
要求には従えないとの返答をすると
怒ったベン・ハダドは戦争の準備を始めるのでした
そこで一人の預言者が登場し
王に向かって
”神によるイスラエルの勝利”を予言します
その勝利は
アハブに神の絶大な力を知らせるためのものでした
預言者の言葉に従って
アハブは諸州の知事に属する若者たち232名を召集し
イスラエル人7千人とともに出陣させます
これに対して余裕で戦いに臨んだはずのベン・ハダドでしたが
イスラエルに打ち負かされてしまいます
その後、また預言者が王に近づき
再びアラム(スリヤ)軍が攻めてくるが
『勇気をもって進め』と進言します
その言葉通り
一度は敗退したアラム軍も
以前は山地での戦いだから負けたのであって
平地で戦えばアラムが勝利すると考え
また戦いを挑んできます
彼らの言い分によれば
イスラエルの神は山の神だから
山での戦いには強くても
平地での戦いには弱いと言うのです
全能の神はすべてにおいて最強ですが
彼らにはそういう認識がなかったようです
そのとき、神の人が近づいて
イスラエルの王に言った
『主はこう言われる
”アラム人は主が山の神であって平地の神ではないと言っているので
わたしはこの大軍をことごとくあなたの手に渡す
こうしてあなたたちは
わたしこそ主であることを知る”」(28節)
こうして今度の戦いもイスラエルが勝利しました
するとアラム側は命乞いをしてきたので
アハブはそれを受け入れ
ベン・ハダドを兄弟として扱い
彼らを帰国させてしまうのです
イスラエルの勝利は本来
『あなたたちはわたしこそ主であることを知る』
ためのものでした
しかし
兵力では絶対に勝てない戦いに勝利したことについて
アハブは神に感謝することもなく
滅ぼすべきであったベン・ハダドを助けています
神の思いを無視し
すべては自分の考えで動くアハブ王
そんな彼に対して
預言者は最後に通告するのでした
「預言者は王に言った
『主はこう言われる
”わたしが滅ぼし去るように定めた人物を
あなたは手もとから逃がしたのだから
あなたの命が彼の命に代わり
あなたの民が彼の民に代わる"』
イスラエルの王は機嫌をそこね
腹を立てて王宮に向かい、サマリヤに帰って行った」(42-43節)
無茶な要求をしてきたアラムのベン・ハダドに対して
その大軍を恐れて何もできなかったアハブ王は
せっかく神の助けを受けながら
最後は神の言葉に従わなかった事で
自らの命を失うことになりました
アハブには信仰がなかったので
”この大軍のすべてをよく見たか
わたしは今日これをあなたの手に渡す”
と言われた神の心(思い)を理解せず
”わたしこそ主であることを知る”こともありませんでした
そして
その過ちが自らの命を失わせることも
彼には全く分かっていなかったのです
それは
彼の心には常に「自分の思い」しかなかったからで
それが神を信じない偶像崇拝者の姿でもあります
アハブは神を信じていないため
アラムの大軍を前にすぐに降伏しようとしました
大事な所で預言者がつかわされ
一時的に神の言葉に従うものの
最後まで彼の心の中の偶像は取り除かれず
神の言葉をないがしろにしたのでした
わたしたちの人生においても
多くの問題があり
無茶なことを言って攻められることもあるでしょう
その時には
人を恐れて言いなりになっていても
問題は悪くなるばかりで解決しません
理不尽な立場に置かれた者を
神が助けようとして下さっていても
物事を大きくしたくないとの自分の思いで
神の働きを自ら阻止してしまうケースは多々あります
アハブ王が最初の戦いに臨む時
『誰が戦いを始めるのか』と問うと
預言者は『あなたです』と答えました
まず人が動き
そこに神の後押しがある
それを信じることができないなら
自ら動くことはできません
クリスチャンは困ると神に祈りますが
「祈る」とは
何もしないことでなく
必ずそこで何か行動することが必要です
そして
行動するためには勇気が必要であり
その勇気が信仰なのです
『勇気をもって進め
あなたはなすべきことをわきまえ知れ』(22節)
ひとりひとりが幸いな人生を歩み
神が生きておられることを証明するために
人を恐れて言いなりになったり
理不尽な問題を放置せず
神の知恵を求めて
勇気をもって行動することができますように
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