今週のみことば


8月26日
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「エリシャは
『来年の今ごろ、あなたは男の子を抱いている』
と告げた
彼女は答えた
『いいえ、わたしの主人、神の人よ
はしためをあざむかないでください』
と答えた
しかし、この婦人は身ごもり
エリシャが告げたとおり翌年の同じころ、男の子を産んだ」
(列王記下4章16-17節)

ある日エリシャがシュネムに行くと
裕福な婦人が彼を引き止めて食事を勧めました
その後も彼女は何度もエリシャをもてなし
ついにはエリシャのために専用の部屋を用意します

エリシャはそこでお世話になりながら
その婦人のために何かしてあげたいと思うのですが
従者ゲハジを通して彼女の願いをたずねさせても
『わたしは同族の者に囲まれて何不足なく暮らしています』
と答えるのでした

そこでエリシャはゲハジに
『彼女のために何をすればよいのだろうか』と言うと
ゲハジは彼女には子どもがいないことを告げます
するとエリシャは彼女を呼んで
彼女に男の子が生まれることを知らせました
彼女はそれを信じることができませんでしたが
本当にエリシャが告げたとおり
男の子を産むことになります

ところが
その子どもが大きくなった時
ある日、急に頭が痛くなり
ついには彼女の膝の上で死んでしまいました
そこで彼女は息子をエリシャの部屋の寝台に寝かせ
すぐにエリシャのもとに向かいます

エリシャにすがりつく彼女のために
最初はゲハジが死んだ子どものところへ使わされますが
エリシャに言われたとおり杖を子どもの顔の上においても
子どもは生き返りませんでした
そこで今度はエリシャが行って
子どもの上に身を重ねると
子どもの体は暖かくなり、ついに生き返ったのです

さて
このシュネムの裕福な婦人は
神を信じ、預言者を尊敬する人でしたが
自分に子どもが与えられるとの預言を聞くと
信じることができませんでした

これは
年老いたアブラハムの妻サラに
男の子が与えられる時と似ています
彼女はそれを信じることができず
そんなことがあるはずがないと心のうちに笑いました

一方シュネムの婦人は
笑うことはしませんでしたが
『はしためをあざむかないでください』と言っています
しかし
預言者は神にあって生きている人ですから
本来、人をあざむくようなことは言いません
その証拠に
彼女には本当に子どもが与えられました
ところが
彼女の心を揺さぶる事がまた起きてしまいます
彼女自身が願ったわけでもないのに
与えられた子どもが今度は死んでしまうとは
何ということなのでしょう

それでも彼女は
『主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます
わたしは決してあなたを離れません』(30節)

と、エリシャにすがりました
エリシャはすべてを神に導かれて進むので
この時、死んだ子どもの上に自分の身を重ねているのも
愛の神の導きによるものであることが
その後、子どもが生き返ったことからわかります

人は死んだらよみがえらないのが常識ですが
エリシャはそうは思わなかったように
わたしたち信仰者も
どんな問題が起きても
”これは絶対解決しない”と自分で決めつけてはいけません

そのためにも
まずは
”こういう結果でなくてはならない”
との自分の思いを捨てて
神の導きにゆだねてみましょう

神はその愛ゆえに
いかにもして人を生かそうとしてくださいます
この世に生きる限り問題は尽きませんが
信仰だけは死なないように
仮にその信仰が死にそうになっているなら
よみがえるように希望を持って進んでいきましょう



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