今週のみことば
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9月23日

「ナアマンが
エリシャと別れて少し行ったとき
神の人エリシャの従者ゲハジは
『わたしの主人は
あのアラム人ナアマンが持ってきたものを
何も受け取らずに帰してしまった
主は生きておられる
彼を追いかけて何かもらってこよう』と言って
ナアマンの後を追った
ナアマンは彼が後を追って来るのを見て
戦車から飛び降り、彼を迎え
『どうかなさいましたか』と尋ねた
彼は答えた
『何でもありません
わたしの主人が
わたしをつかわしてこう言いました
”今し方預言者の仲間の若い者が
二人エフライムの山地から着いた
彼らに銀一キカルと
着替えの服二着を与えてほしい”』
ナアマンは『どうぞ、二キカル取ってください』
と言ってしきりに勧め
二つの袋に銀二キカルを詰め
着替えの服二着を添えて
自分の従者二人に渡した
彼らはそれを持ち
ゲハジの先に立って進んだ
オフェルに着いたとき
ゲハジは彼らから
それらを受け取って家にしまい込み
彼らを帰した
彼らは去って行った
彼が主人のところに来て立つと
エリシャは
『ゲハジ、お前はどこに行っていたのか』と言った
ゲハジは
『しもべはどこにも行っていません』と答えたが
エリシャは言った
『あの人が戦車から降りて引き返し
お前を迎えたとき
わたしの心がそこに行っていなかったとでも言うのか
今は銀を受け、衣服、オリーブの木やぶどう畑
羊や牛、男女の奴隷を受け取る時であろうか
ナアマンの重い皮膚病が
お前とお前の子孫に
いつまでもまといつくことになるのに』
ゲハジは重い皮膚病で雪のようになり
エリシャの前から立ち去った」
(列王記下5章20-27節)

ナアマンは重い皮膚病を癒してもらうために
敵国イスラエルにやって来る際
贈り物として
銀十キカル(タラント)
→約340キログラム→約2千4百万円
金六千シェケル(シケル)
→約78キログラム→約3億九千万円
を持って来ました
そして
その病気が癒されると大変喜んで
エリシャに贈り物を渡そうとするのですが
どんなに勧めてもエリシャは何も受け取らず
そのままナアマンを国に帰らせます

その様子を見ていた従者のゲハジは
それを非常に惜しいと思ったので
エリシャからの伝言だとウソをついて
銀2キカル(約5百万円)と
着物をだまし取りました

2キカルの銀は約70キログラムもあるため
それらはナアマンの従者たちが家まで運び
ゲハジはこっそり自分の家にしまい込むのです
その後
何食わぬ顔でエリシャの前に出てくるゲハジ
しかし
エリシャはすべてを知っていました

預言者エリシャのそばで
それまで多くの神の業を見てきたであろうゲハジでも
その心は神ではなく
お金に向いていたようです
お金があれば
人は一時的に安心するものですが
お金に望みを置くのは
人生にあって実に危いことなのです
実際に
ゲハジは大金を手にしても
ナアマンの病気がうつってしまい
このお金では解決できない災いに
死ぬまで悩まされることになりました

神ではなく
お金(世のもの)に心ひかれる人の思いを
神はすべてご存じです
お金だけではなく
神以外の人や物を頼りとしていくことは
非常に残念ですが、よくあることで
現実問題として
人間にはゲハジのような失敗がつきものであり
ここに”神に対する人間の罪”があることを
わたしたちは自覚しなくてはなりません

「知恵と知識の宝はすべて
キリストの内に隠れています」
(コロサイ人への手紙2章3節)

救われてクリスチャンになるということは
”神にある宝”を得て生きていくわけですが
それを見つけるには
何が大切かを知る必要があります

エリシャはゲハジに対して最後に
”今は何をすべき時であるか”を
考えるよう問いかけました
その心をどこに向け
何を大切にしていくべきなのかを考えるようにと
そして
一番大事な神から目をそらしたゲハジは
その宝を受けることができず
自ら災いを招いてしまいました

人間には
今以上に人から良く見られたいとか
お金持ちになりたいとか
さまざまな欲があって
クリスチャンであっても
そのような思いに支配されていくのは
よくあることです

人間の弱さについては
神はすべてご存じなのですから
ゲハジのようにウソをついて
それもエリシャのせいにしてまで
自分の欲を満たそうとする前に
もっと自分に正直になって
弱さを告白することができれば
彼の人生も違ったものになっていたでしょう

せっかくエリシャのそばで
神にある者の幸いをたくさん見てきても
ゲハジの心が
最終的に神になかったのは残念です
この教会にあっても
長い年月の間には
多くの奇跡を見てきましたが
それを体験した人々がみんな
神に心が向いているわけではありません
いくら神に愛されても
その愛に答えようとは思わない
これが人間の弱さの現実です

わたしたちクリスチャンにとって
”今は何の時”かを
自分にも問いかけてみましょう

人はみな
それぞれの問題(試練)を持っていますが
今はそこで神と共に戦い、勝利する時です
それは
神が共にいてくださることで「宝」が与えられ
わたしたちの心は生きて
強く正しく歩むことができるからです

しかし
贈り物を辞退したエリシャの心を
理解しなかったゲハジのように
神の心を理解しないままでは
正しく歩む(平安な人生を送る)ことはできません
聖書のみことばは
人を常に正そうとしてくれる生きた言葉ですから
そのみことばにより
神の心を知って
今何をすべきかを教えられていきましょう


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