今週のみことば


9月30日
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「アラムの王がイスラエルと戦っていた時のことである
王は家臣を集めて協議し
『これこれのところに陣を張ろう』と言った
しかし、神の人はイスラエルの王のもとに人をつかわし
『その場所を通らないように注意せよ
アラム軍がそこに下って来ている』と言わせた
イスラエルの王は神の人が知らせたところに人を送った
エリシャが警告したので
王はそこを警戒するようになった
これは一度や二度ではなかった」
(列王記下6章8-10節)

アラム(スリヤ)軍の動きを
エリシャがイスラエル王に教えるので
イスラエルは常に難を逃れ
一方、アラムの王は
計画がことごとく見破られることに腹を立て
自分たちの中にスパイがいるのではないかと
疑い始めました

そこでアラムの家臣は王に対し
イスラエルには預言者エリシャがいて
すべての計画が筒抜けであることを告げます
するとアラムの王は
エリシャがいる場所を探し
彼を捕えるために
そこに大軍を送り込んだのでした

「神の人の召し使いが朝早く起きて外に出てみると
軍馬や戦車を持った軍隊が町を包囲していた
従者は言った
『ああ、ご主人よ、どうすればいいのですか』
するとエリシャは
『恐れてはならない
わたしたちと共にいる者の方が
彼らと共にいる者よりも多い』
と言って、主に祈り
『主よ、彼の目を開いて見えるようにしてください』と願った
主が従者の目を開かれたので
彼は火の馬と戦車がエリシャを囲んで山に満ちているのを見た」
(15-17節)


いきなり大軍に囲まれ、うろたえた従者ですが
神によって目が開かれると
自分たちがアラム軍よりもたくさんの神の軍勢に
守られていることがわかりました

更にエリシャは神に
今度はアラム軍の目をくらましてくださいと祈ります
すると彼らは本当に目が見えなくなって
エリシャが導く方向へとついていきました
こうしてアラム軍はいつの間にか
イスラエルの首都サマリヤに連れて行かれ
そこで再び目が開かれると
自分たちが敵地の真ん中にいることを知ったのです

イスラエルの王はエリシャに
『わたしが(アラム軍を)打ち殺しましょうか』と言うのですが
エリシャは
『打ち殺してはならない
あなたは捕虜とした者を剣と弓で打ち殺すのか
彼らにパンと水を与えて食事をさせ
彼らの主君のもとに行かせなさい』と言ったので
王は彼らのために大宴会を催しました

こうして敵地でもてなしを受けたアラム軍は
主君のもとに帰り
その後は二度とイスラエルの地に来なかった
と記されています

「愛する人たち、自分で復讐せず
神の怒りに任せなさい
『”復讐はわたしのすること、わたしが報復する”
と主は言われる』と書いてあります
『あなたの敵が飢えていたら食べさせ
渇いていたら飲ませよ
そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる』
悪に負けることなく
善をもって悪に勝ちなさい」
(ローマ人への手紙12章19-21節)


エリシャがイスラエル王に命じたのは
このみことばに記されているのと同じことです

人の目を開くことも閉ざすこともできる神は
すべてのことをご存じで
信じる者には正しいことを教えてくださいます
人間の感情のまま動くなら
悪には悪をもって報いたいところですが
それは
神にあっては正しいことではありません

イスラエルに攻めてきたアラム軍は
敵地で囲まれ殺されるかと思いきや
そこで思わぬもてなしを受けたことで
イスラエルに対して
もう手出しができない気持ちにされました

わたしたちも
様々なトラブルを抱えた時
大切なのはまず相手の心を知ることです
これは
決して相手に媚びるわけではありません

世の中には恐いと思うことがたくさんありますが
神を通して(信仰をもって)見ると
何を恐れているのかと
ふと気付かされることがあります

目が開かれれば
物事の受け止め方も変わり
自分の狭いものさしで考えないで
神にある正しさを教えられ
勇気をもって踏み出すことができるのです

エリシャの従者は
自分たちが神の大軍の守りのうちに置かれていることを見せられ
どんなに勇気を与えられたことでしょう
このように
神にある者の幸いに目が開かれたなら
人は恐れずに進んでいくことができます

日々の不安の中で
どう生きるのかを教えられるために
わたしたちも目が開かれていきますよう
信仰をもって祈って進みましょう



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