今週のみことば
10月13日
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「ウツの地にヨブという人がいた
無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた」
(ヨブ記1章1節)
ヨブは経済的に豊かであるばかりでなく
神に対する心も豊かな人でした
そのため彼は
自分自身が正しく生きようとする以外に
自分の子どもたちも正しくあることを望み
7人の息子と3人の娘が
”心の中で神を呪ったかもしれない”
とまで想像して
彼らのためにもいけにえを捧げることを欠かしませんでした
こうして
神の前に正しくあることに徹してきたヨブですが
ある日、神の前にサタンがやってきて
ヨブの信仰を試みることになるのです
「主はサタンに言われた
『お前はわたしの僕ヨブに気づいたか
地上に彼ほどの者はいまい
無垢な正しい人で
神を畏れ、悪を避けて生きている』
サタンは答えた
『ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか
あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか
彼の手の業をすべて祝福なさいます
お陰で、彼の家畜はその地にあふれるほどです
ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい
面と向かってあなたを呪うにちがいありません』」(8-11節)
そこで神は
サタンがヨブのものを奪うことを許可します
ただし、ヨブ自身に手を出すことは許されませんでした
その後、ヨブは
すべての財産を失い
子どもたちも全員殺されてしまいます
この事態にショックを受けたヨブですが
彼はサタンが期待したように
神を呪うことはせず
「わたしは裸で母の胎を出た
裸でそこに帰ろう
主は与え、主は奪う
主の御名はほめたたえられよ」(21節)
と言って、罪を犯さなかったのです
”ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか”
そんなはずはないと思ったサタンですが
”あなたは彼とその一族、全財産を守っておられる”
とあるように
ヨブが神の祝福によって守られていることも知っています
サタンの言い分は
祝されている間は神を敬うが
失えば信仰はなくなるというわけです
これについて、わたしたちはどうでしょうか
良いことがあれば信じるが
良いことがなければ信じない
思い通りに物事が進まなければ
神はいないと呪うのでしょうか
現実には
ヨブほどの苦しみにわたしたちがあうことはないとしても
「失う苦しみ」はいろんな形でやってきます
それはみな神の許しの内になされることなので
信じる者を守り導き、祝してくださる神は
その先の先まで見通した上で
各々に必要な道を通らせる
そして
厳しい所を通ってはじめて
神がどういう方であるかを知ることができるなら
やがてその道のりを振り返った時
神のご計画に納得することになるでしょう
この信仰感は
ただ自分の利益のみを追求する信仰スタイルの人には
とても納得できないことだとしても
神の祝福の内に守り導かれてきた
つまり生かされてきたのだと知っている人は
その道が厳しいからこそいよいよ神を信じて
信仰によって進んでいこうとするのではないでしょうか
お金であれ、名誉であれ、若さや健康であれ
なんでも失うのは寂しいことですが
神によってなされることはみな受け入れる
神に寄りすがる道は幸いで、そこに無駄はないのだと
信じて進んでいける人は幸いです
世の中では信仰というものを侮る風潮がありますが
信仰している人は
どんな時も神と共に歩む強さを持ち
そこには実際に神が働いて
幸いへと導かれる証がありますから
神にあるところの「勝利の道」を
希望を持って歩んでいきたいものです
<目次