今週のみことば
10月27日
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「やがてヨブは口を開き、自分の生まれた日を呪って言った」
(ヨブ記3章1-2節)
神とサタンの話し合いによって
すべての家族も、財産も失ったヨブは
更に、自分の身に病気が生じても
なお神を呪う言葉を口にしませんでした
神から
”ヨブほどの正しい信仰者はいない”
と評された彼でしたが
3章からは嘆きの言葉が出てきます
「なぜ、わたしは母の胎にいるうちに
死んでしまわなかったのか
せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか」(11節)
辛い目に合うと人は、しばしば
”死んだほうがましだ”と言います
ヨブもまた例外ではなく
ここでその弱さが現れてくるのでした
立派な信仰心を持っているように思えたヨブでも
その信仰が弱ることがあり
とにかく愚痴を言わずにはおれない、、、
ましてや彼は
神の律法を誰よりも真面目に守ってきた人ですから
ここまでの災難に見舞われるなど
想像もしていなかったことでしょう
しかし
たとえヨブのように
神の律法を完璧に守ったとしても
人は誰でも神のご計画の内に生まれ、生かされ
どのような人生をおくるかも
すべては神の采配の内にあります
その神のご計画の中には
人間にとって不都合なこともあって
「災い」という試練の中に置かれる場合もあるわけですが
神が起こした災いならば
それはやがて神を知る(神に会う)機会になることを
信仰者は心にとめておきたいものです
ルカによる福音書19章に登場するザアカイは
背が低い人だったので
イエスの姿を見ようと桑の木に登ります
彼にとって背が低いというのは不利な事かもしれませんが
そのおかげで彼はイエスに目を止められ
救いに入れられました
人生には色んなことが起こりますが
今は災いと思えることも
それが何をもたらすかはわたしたちにはわかりません
救われて神にある者は
その希望を持って歩むことで支えられ
実際に、神の業を見ることができます
神の業というものを信じている人は
神がなさることについて
それが今は残念な事でも
自ら神を呪って死ぬようなことはしないでしょう
だからヨブも
妻のように愚かなことは言わなかった
しかし
この時点で
ヨブはまだ神に会っておらず
ただ災いの中に置かれた自分を嘆くのでした
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