今週のみことば
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11月24日
「あなたのことを、耳にしてはおりました
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます」
(ヨブ記42章5節)
3人の友人は次々ヨブを責めますが
彼はずっと自分の潔白を訴え続けたので
やがて3人は黙りました
そして
その様子を見ていたエリフという若者が
32章から語り始めます
「ヨブはこう言っている
『わたしは正しい
だが神は、この主張を退けられる
わたしは正しいのに、うそつきとされ
罪もないのに
矢をいかけられ傷ついた』」
(34章5-6節)
これまで何度も語ってきたように
ヨブが神から大変な災いを受けたのは
ヨブ自身の罪からではなく
神とサタンの話から出た事でした
そのことを
ヨブも友人たちもエリフも知らないまま
3人の友人はヨブを責め
ヨブは身の潔白を訴え
自分を正しいと主張するヨブに対して
エリフが神の偉大さを説いています
このエリフの話が終わった時
38章から、神ご自身の言葉が臨みました
その内容は
神と人間との絶対的な力の違いです
創造主である神がどのような力を持つのかを
神ご自身から聞かされたヨブは言いました
「わたしは軽々しくものを申しました
どうしてあなたに反論などできましょう
わたしはこの口に手を置きます
ひと言語りましたが
もう主張いたしません
ふた言申しましたが
もう繰り返しません」(40章4-5節)
それまで神に対して
わたしは正しいのに
こんな目にあわされて・・・・と
愚痴を言い続けていたヨブが
ここで目を開かれます
「ヨブは主に答えて言った
あなたは全能であり
御旨の成就を妨げることはできないと悟りました
『これは何者か
知識もないのに
神の経綸を隠そうとするとは』
そのとおりです
わたしは理解できず
わたしの知識を超えた驚くべき御業を
あげつらっておりました」
(42章1-3節)
ヨブは自分が正しければ
災いには会わないと思っていました
だからこそ神の律法を誰よりも
忠実に守っていたのですが
今ここで
人間の生涯に何が起ころうとも
すべてのことは神が決めるのだと悟ります
こうして
人間が立ち入ることのできない
神の領域について知ったヨブは
今までの信仰とは違って
本当に神を実感することができたのでした
「あなたのことを、耳にしてはおりました
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます
それゆえ、わたしは塵(ちり)と灰の上に伏し
自分を退け、悔い改めます」
(5-6節)
その後、神は3人の友人を叱り
ヨブに祈ってもらうよう命じます
ヨブが彼らのために祈った時
神はヨブを元の境遇に戻し
財産は二倍にされ
新たに子どもたちが与えられ
ヨブは幸せの内に長生きをして
人生を終えました
ここでヨブ記は終わりになりますが
最後に財産が二倍になったからと言って
これはヨブの成功物語ではなく
彼が本物の信仰に目覚めていく話です
ヨブは元々信仰熱心な人で
それは神からも認められるほどでした
しかし
彼は大変な災いに会うことで
最後に、その信仰感は変わっていきます
言い換えれば
その災いがなければ
「神を見る」こともなかったということでしょう
また、ヨブ自身
理不尽と思える試練の中で嘆きつつも
それでも彼は神を呪うことはありませんでした
人の中には
辛いから信仰をやめる人もあれば
辛いからこそなお神を求める人もあります
そして
神を愛し、救いを求める人は
最終的に、やはり助けられていくのです
どんな所に置かれても
神に希望を置き、辛い境遇に負けない人は
本当の意味で『祝された人』
こういう人は
どんな所でも花を咲かせることができます
それは
信仰という根がしっかりとはっていて
自分という木を支えてくれているからです
根がしっかりしていれば
木は枯れることがなく
やがてそこには実(神の御業)が生るでしょう
もし
自分には何もない・・・と思う人があれば
それは与えられた花や実について
自分が満足していないだけかもしれません
わたしたちの人生にも
自分の想像を超えたことが起こってくるものですが
神に対する思いや考え方がしっかりしていれば
必ずそこに「神を見る」ことができます
その時には
神にある者の幸いを感謝し
なお様々な試練の中にあるとしても
神によって生かされている間は
しっかりと前を向いて生きていきましょう
「実に、信仰は聞くことにより
しかも、キリストの言葉を聞くことによって
始まるのです」
(ローマ人への手紙10章17節)
「折り取られた枝に対して誇ってはなりません
誇ったところで
あなたが根を支えているのではなく
根があなたを支えているのです」
(11章18節)
<目次