今週のみことば


12月1日
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「いかに幸いなことか
神に逆らう者の計らいに従って歩まず
罪ある者の道にとどまらず
ごうまんな者と共にすわらず
主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人
その人は流れのほとりに植えられた木
ときが巡り来れば実を結び
葉もしおれることがない
その人のすることはすべて
繁栄をもたらす

神に逆らう者はそうではない
彼は風に吹き飛ばされるもみ殻
神に逆らう者は裁きに堪えず
罪ある者は神に従う人の集いに堪えない

神に従う人の道を主は知っていてくださる
神に逆らう者の道は滅びに至る」
(詩篇1篇1-6節)



ここに出てくる
「神に従う人」と「神に逆らう者」とは
教会に来ている人と、そうでない人
というように単純に考えがちですが
実際には
教会に集っている人にもこの両者が存在し
わたしたち自身の中にも
そういう思いがあるということを
まず知っておく必要があるでしょう

クリスチャンとして信仰生活を歩む時
一番大切なのは
聖書の教えを自分の価値観として持つこと
そうすると
水のそばに植えられた木のように
生命の元である水(神の言葉)によって
どんな環境下でも活かされていくのです

「祝福されよ、主に信頼する人は
主がその人のよりどころとなられる
彼は水のほとりに植えられた木
水路のほとりに根を張り
暑さが襲うのを見ることなく
その葉は青々としている
干ばつの年にも憂いがなく
実を結ぶことをやめない」
(エレミヤ書17章7-8節)


神によって活かされる木は
様々な試練の中でも神に希望を置くことで
やがて各々の木にふさわしい実を結びます
このように
神にあって
一人一人が良い実を結ぶ人生を送ることは
クリスチャンに与えられた使命でもあります

ただし
「良い実」とは何かと問えば
それを単に
「ご利益」と同じにとらえる人もあるでしょう
そもそも
信仰するに至った目的も
「ご利益(お金)を得ること」かもしれません
それはそれで別に悪いことではないのです
むしろそれが
世の中にあっては普通の事ですから

しかし
初めはそうであった人の価値観が
いつの間にか神によって変えられ
「お金さえあれば幸せなのではない」ことに
気づいていくなら
そして
神の中にこそすべての祝福の元があると知るなら
その人は
本当の意味で
「良い実」を結ぶ人となっているのです

「ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり
あなたがたが聞いた
福音の希望から離れてはなりません」
(コロサイ人への手紙1章23節)


「知恵と知識の宝はすべて
キリストの内に隠れています」
(2章3節)


聖書のみ言葉に従った生き方は
世の中の目指すところとは異なっているので
信仰のない人から見ると
愚かな歩みのようにも見えることもあります

それでも
しっかりと信仰に根ざした歩みをしていく時には
どんな時代になろうとも
わたしたちは必ず神の助けを得て
幸いな人生を歩んでいくことができますから
その希望を持って歩むことができる人は幸いです

「十字架の言葉は
滅んでいく者にとっては愚かなものですが
わたしたち救われる者には神の力です」
(コリント人への第一の手紙1章18節)




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