今週のみことば
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2月10日

「預言者シェマヤが
シシャクのことで
エルサレムに集まっているレハブアムと
ユダの将軍たちのところに来て言った
『主はこう言われる
”あなたたちはわたしを捨てた
わたしもあなたたちを捨て
シシャクの手に渡す”』
イスラエルの将軍たちは
王と共にへりくだって言った
『主は正しい』
主は彼らがへりくだるのを御覧になった
主の言葉がシェマヤに臨んだ
彼らがへりくだったので
わたしは彼らを滅ぼさず
間もなく彼らに救いを与える
わたしの怒りを
シシャクの手によって
エルサレムに注ぐことはしない
ただし、彼らはシシャクに仕える者となり
わたしに仕えることと
地の王国に仕えることとの違いを
知るようになる』」
(歴代誌下12章5-8節)

ユダの王レハブアムは
たびたび神に背きつつも
預言者が現れて
神の言葉が告げられると
その時には恐れて従うことで
難を逃れていました
やがてユダの国が安定し
レハブアムも王として力をつけてくると
また彼は神を捨てるのですが
この時には神を捨てた報いとして
エジプトの王シシャクが
エルサレムに攻めてきます

シシャクの軍勢は強く
ユダの町は次々陥れられて
いよいよエルサレムにまで敵が迫ってきた時
預言者シャマヤが神の言葉を告げました
”あなたたちはわたしを捨てた
わたしもあなたたちを捨て
シシャクの手に渡す”


ここでレハブアム王と将軍たちは
神に対してへりくだり
その様子を見た神は
彼らに救いを与えると約束されたので
彼らはエジプト王シシャクによって
滅ぼされることはありませんでした
しかし
その後シシャクに支配されることになるのです
これも預言者によって
あらかじめ語られていたことでした
”ただし、彼らはシシャクに仕える者となり
わたしに仕えることと
地の王国に仕えることとの
違いを知るようになる”


人間は経済的に豊かになったり
社会的地位を得たりすると
誰かに寄りすがらなくても
自分の望みが(ある程度)かなうようになるので
今までどんなに助けられた経緯があっても
真の神を簡単に捨ててしまいがちです

人にとっては、目に見えない神よりも
目に見える強そうな人の方が魅力的ですから
そういう人を頼ろうとしてだまされたり
あるいは自らが強くなって
神と同格であるかのように勘違いし
人生の落とし穴にはまっていく・・・
わたしたちはこの弱さと
戦っていかなくてはなりません

エジプトによって攻め込まれたユダ王国は
エルサレムにある神殿と王宮の宝物を奪われ
ソロモンの時代に作った武器も奪われたので
レハブアムは別の武器を作って
自分を守らなくてはなりませんでした

こうしてさまざまなものを失いながらも
ユダ王国は徹底的に滅ぼされることはなく
「神に仕える」恵みと
「地の王国(エジプト)に仕える」不自由を
レハブアム王とイスラエル人たちは
体験することとなったのです

レハブアムは41歳で王となり
17年間王位にあって亡くなるまでの間
”彼は心を定めて主を求めることをせず
悪を行った”(14節)

とあるように
せっかく何度も神に助けられる経験をしながらも
そこで信仰が定まることがなく
何度も神に背き
その結果、いつも戦争ばかりの日々を送り
平安のない人生を過ごすことになりました

特に
同じイスラエルの民同士でありながら
レハブアム率いるユダ王国と
ヤロブアム率いるイスラエル王国の間には
戦いが絶えず
その戦いの元は
彼らの不信仰にありました

レハブアムもヤロブアムも
「救いの体験」はあっても
それが信仰に結びついておらず
いざとなると自分の感情を抑えることができないので
どちらも神に聞くことをしていません
そして
失敗して痛い目にあう
→預言者によって教えられる
→一時期は従う
→助けられる
→また神を捨てる
この繰り返しでしたから
自ら災いを招き
結果的に平安な人生を送ることは
できなかったのです

人間には色々ありますから
簡単には信用もできませんし
十分注意をしなくてはなりませんが
全能の神は完全で
へりくだるべきなのはわたしたちです

わたしたちは神にあってこそ恵まれ
強くなることができる
神あればこその人生であることを自覚して
右にも左にも曲がらず
心を定めて神の言葉を求めていきましょう



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