今週のみことば
2月24日
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「アサは、その神、主の目にかなう正しく善いことを行った
彼は異国の祭壇と聖なる高台を取り除き
石柱を壊し、アシェラ像を砕き
ユダの人々に先祖の神、主を求め
律法と戒めを実行するように命じた
アサはまたユダのすべての町から聖なる高台と香炉台を取り除いた
こうして彼の統治の下で国は平穏であった
主が安らぎを与えられたので
その時代この地は平穏で戦争がなかった
そこで彼は、ユダに砦の町を次々と築いた」
(歴代誌下14章1-5節)
*文語訳聖書では2-6節
レハブアムの子、アビヤが死に
その子アサがアビヤに代わって王となりました
アサ王の時代になって10年間は
ユダの国には戦争がなく平穏な日々が続きます
それは
アサ王が”神の目にかなう正しいこと”をしたからでした
アサ王は
それまで放置されていた偶像を一掃するべく
すべての異国の祭壇や聖なる高台を取り除き
ユダの国民に
先祖の神をあがめるよう命じました
こうしてアサ王が神を求めたので
神はユダの国に安らぎを与えられ
その平穏な時代に
ユダの国には砦の町が築かれて
町は堅固になっていきます
砦の町が完成したのち
ある時
クシュ人(エチオピア人)が攻めてきました
その時ユダの国には58万人の勇士がいましたが
クシュ側は
100万人の勇士と300両の戦車を率いてやってきます
数では到底太刀打ちできません
この時アサは神に祈りました
「主よ、あなたは力のある者にも無力な者にも
分け隔てなく助けを与えてくださいます
わたしたちの神、主よ、わたしたちを助けてください
わたしたちはあなたを頼みとし
あなたの御名によってこの大軍に向かってやって来ました
あなたはわたしたちの神、主であって
いかなる人間もあなたに対抗することができません」(10節)
*文語訳聖書では11節
このあと、神はアサ王を助けたので
ユダの国は勝利をおさめます
こうして
アサ王が信じた通り
兵力の少ない(力のない)者であっても
神は大軍に向かわせ勝利を与えてくださったのでした
似たようなみことばはサムエル記にも出てきます
「ヨナタンは自分の武器を持つ従卒に言った
『さあ、あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう
主が我々二人のために計らってくださるにちがいない
主が勝利を得られるために
兵の数の多少は問題ではない』」
(サムエル記上14章6節)
”力のある者にも無力な者にも”
そして”兵の数の多少”に関わらず
神の助けは、神を求める者に与えられる
この約束は
アサ王の時代のみならず
現代を生きるわたしたちにも当てはまります
救いを受けたクリスチャンであっても
「人の弱さ」はなくならないので
健康や経済、人間関係などの問題が起こると
その心は不安で戦争状態になります
そんな時
わたしたちは神を求め、頼みとしていくのでしょうか
それとも
他の何かを頼ろうとするのでしょうか
アサ王は
まず神のみに頼る体制を築くため
ユダの国からすべての偶像を取り除きました
ここがまず信仰の基本です
わたしたちは目に見える偶像は拝んでいなくても
心の中にある「自分の誇り」と無縁ではなく
まず様々な「自分の思い」を取り除いていかなくては
本当に信仰することができません
偶像を取り除き
信仰をはっきりさせたアサ王を神は守り
国は10年間平穏でした
その間、アサ王は国を強くする建築を進めています
同様に
「神に立つ」と決めたわたしたちにも
神は平穏を与えてくださり
問題のない日々が続くかもしれません
その時には
いよいよ信仰を堅固なものにするべく
神への感謝を忘れないことが大切です
こうして信仰によって自分自身が強くされた時には
また敵(問題)が襲ってきても
神と共にそこを乗り越えることができるでしょう
どんな種類の戦いであっても
戦いとは苦しいものですが
その苦しさから助けられることを通して
神の力を知り、その愛に目を止めることができれば
これは大きな財産になります
一方
戦いの苦しさゆえに卑屈になり
「神さまなんか信じてもつまらない」
という人もあるでしょう
同じ戦いの苦しさの中にあっても
そこをどう考え、どう立ち上がっていくかによって
先の展開は大きく異なります
また
”力のある者にも無力な者にも分け隔てなく助けを与えて”くださる神は
その信仰歴が長いも短いも関係なく
信じる者をかならず助けてくださいます
むしろ信仰歴が長くなると「かけひき」をする人も出てくる一方で
信仰歴が短いと純粋に神を求める人が多く
それぞれの心がその後の結果になって表れてくるわけです
”王が神に従えば国は平和だった”
このことは
”わたしたちが神に従えば自分自身に平安がある”
ということでもあります
心の中の偶像を取り除き
神が善しとされることを行っていくなら
必ずその人生に助けがあると
アサ王の歩みを通して教えられ
どんな時も神を信じて求めていく信仰者として
成長することができますように
<目次