今週のみことば
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4月14日
「翌朝早く
彼らはテコアの荒れ野に向かって出て行った
出て行くとき、ヨシャファトは立って言った
『ユダとエルサレムの住民よ、聞け
あなたたちの神、主に信頼せよ
そうすればあなたたちは確かに生かされる
またその預言者に信頼せよ
そうすれば勝利を得ることができる』」
(歴代誌下20章20節)
アンモン人、モアブ人
セイル山の人々の連合軍の
圧倒的な勢力に対して
兵の数では
到底勝ち目のないユダ王国でしたが
ヨシャファト王は神の命令に従い
敵に向かって出て行きました
その時ヨシャファトは
ユダ王国の人々に向かって
神と預言者を信頼していくことが
自分たちの勝利につながると告げます
そして
ヨシャファト軍の先頭には
神を賛美する人々を進ませ
彼らは
『主に感謝せよ、その慈しみはとこしえに』と
賛美の歌を歌い始めました
すると
ユダに攻め込んできた敵の連合軍に対して
神からの伏兵が差し向けられたため
連合軍は敗退
その後は
連合軍がバラバラになってお互いを滅ぼしあい
こうして
敵の大軍は全滅してしまいました
この戦いにおいて
ヨシャファト軍は一切戦うことがなく
彼らは全滅した敵軍から戦利品を奪い
大喜びでエルサレムに帰っていきます
それはまさに
”これはあななたちの戦いではなく
神の戦いである”
との言葉どおりの結果でした
「主がイスラエルの敵と戦われたということを聞いて
地のすべての国がどこも神への恐れに襲われた
ヨシャファトの王国は平穏で
神は、周囲の者たちから彼を守って
安らぎを与えられた」(29-30節)
ヨシャファト王のもとに
ある日、敵の大軍が攻めてきたように
わたしたちの人生においても
いつ何が起こるかわかりません
どんな人でも
自分が神になることはできないので
人生に起こる「ありえないこと」は
良いことであれ、悪いことであれ
自ら招くことも、防ぐこともできないのです
その中で
多くの人は人間に期待し、寄り頼み
人間の知恵と力をもって戦おうとするのですが
もし人間の力で戦うとすれば
そこには当然限界がありますし
世の中の力(権力)を持った人には
なかなか勝てるものではありません
それでも
人間は神ではないので
しばしば間違いを犯し
ちょっとしたボタンのかけ違いのようなミスによって
人生が大きく狂ってくることもあるでしょう
だからこそ
”いざという時”に
神を信頼し、神に立てる人は幸いです
信仰は弱い人のすることだと思われていますが
実際には
神への信仰に立った人は強く
その戦いに勝利することができるのです
「神の御心にかなった悲しみは
取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ
世の悲しみは死をもたらします」
(コリント人への第二の手紙7章10節)
神によってもたらされる戦い(試練)は
辛いものであっても
そこから神を信頼して救いを求める者には
救いの業を見る機会となります
ヨシャファトの戦いでは
神が前線に立って戦って下さったように
わたしたちの戦いもまた
自分が戦わなければならないようで
(実際に出て行くのは自分であっても)
そこには不思議な力が働いて
思いがけない方法で勝利が与えられるでしょう
その力を信じる者には
神は何者にも代えがたい大切な存在ですが
信じない者にとっては
”つまづきの石、妨げの岩”
「彼らは御言葉を信じないのでつまづくのですが
実は、そうなるように
以前から定められているのです」
(ペテロの第一の手紙2章8節)
試練のたびに神を信頼したヨシャファト王は
そのたびに神の救いを見ることができました
彼はそれを喜び感謝して
国民にも信仰の教育をしましたが
同じ過ちも繰り返しています
以前、神に対して悪を行う王アハブと縁を結び
それによって神の怒りを招いたというのに
ヨシャファトは今回の戦いで救いを経験した後も
イスラエルの王アハズヤと協定を結びます
この王はアハブと同じく悪を行う人だったので
共同経営をした事業は後に破綻するのでした
ヨシャファトは
試練の時には必ず神に頼った王でしたが
平穏な時代が来ると
こういう間違いを繰り返している
それが
人間の持つ弱さなのでしょう
だからこそ
人は神を信じていかなければ
いつも間違った道を歩むことになりかねません
同じ過ちを繰り返さないためにも
わたしたちは神に助けられた感謝を忘れず
どんな時にも
神を信頼した歩みをしたいものです
<目次