今週のみことば


5月19日
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「ヨアシュは七歳で王となり
40年間エルサレムで王位にあった
その母は名をツィブヤといい
ベエル・シェバの出身であった
ヨアシュは祭司ヨヤダの生きている間は
主の目にかなう正しいことを行った」
(歴代誌下24章1-2節)

祭司ヨヤダと王女ヨシェバ夫妻によって
命を助けられたヨアシュは
7歳で王になりました
幼いヨアシュには祭司ヨヤダがついていたので
神を中心とした「神聖政治」が行われていましたが
ヨヤダが130歳で亡くなると
ユダの高官たちはヨアシュ王をそそのかし
王は先祖の神を捨てて
また偶像に仕えるようになるのです

これに怒った神は
彼らを神に立ち帰らせるために預言者を送りますが
彼らは耳を貸そうとはしません
そこでヨヤダの子ゼカルヤが送られ
民に向かって語りました
「神はこう言われる
『なぜあなたたちは主の戒めを破るのか
あなたたちは栄えない
あなたたちが主を捨てたから
主もあなたたちを捨てる』」(20節)


しかし
それを聞いたヨアシュ王も高官たちも
悔い改めるどころか
ゼカルヤを石で打ち殺していますのです

ヨアシュにとって
ヨヤダは命の恩人であり
命がけでヨアシュを王として立て
終生支えてくれた人です
そんなヨヤダの息子をヨアシュは殺してしまった
これは許されるはずはありません

神はアラム軍をヨアシュに向かわせ
少人数の軍隊を大きくして戦いに勝利させます
この結果
ユダの高官たちはすべて殺され
ヨアシュ王にも重傷を負わせました
その後ヨアシュは
祭司ヨヤダの息子を殺した報いとして
自分の家臣たちによって寝床で殺されるのです

そんなヨアシュは
王の墓に葬られることもありませんでした
一方
祭司ヨヤダは王ではありませんが
王の墓に葬られています
「彼はイスラエルにおいて神とその神殿のために
著しい貢献をしたからである」(16節)


神を畏れ敬う祭司ヨヤダの働きは
神にも人にも覚えられ
彼は最後に丁重な扱いを受けるのでした

そもそもヨアシュが王になれたのは
ヨヤダが正しい行いをしたからであり
彼がバックについている間は
ヨアシュは正しい政治を行うことができました
このように
バックに神の教えを伝える正しい人を持つと
それに従う間は祝福を受けることができるわけです

洗礼と聖霊を受けたクリスチャンは
それによって自分の内側で
「神聖政治」が行われる身となりました
そのバックになるのは教会ですが
信仰者の心は
常に神に向いているわけではありません
教会がそれを正そうとした時
自分の心を省みることができるでしょうか?

神は何とかして人を神に立ち帰らせようとし
祈りを聞き、幸いを与えてくださいますが
人間が自分の欲に立ち
神を無視するようになることについては
これはもうどうしようもありません
たとえ正しいことを聞かされても
自分の心の中に「神に反する思い」があるなら
その正しい言葉は消されてしまうからです

実際に
ヨアシュは
正しい言葉を伝えた恩人の息子を殺してしまった
それが自らの不幸を招いたのです

「神に近づきなさい
そうすれば、神は近づいてくださいます」
(ヤコブの手紙4章8節)


「アサよ、すべてのユダとベニヤミンの人々よ
わたしに耳を傾けなさい
あなたたちが主と共にいるなら
主もあなたたちと共にいてくださる
もしあなたたちが主を求めるなら
主はあなたたちに御自身を示してくださる
しかし、もし主を捨てるなら
主もあなたたちを捨て去られる」
(歴代誌下15章2節)


わたしたちが正しいもの(=神)を求めていけば
それに会うことができますが
神から心が離れた王さまは
人の言葉に惑わされて
国を恵まれない方向へと導いてしまいました
その過ちの歴史を通して
自分の信仰を省み
正しい道を求めて進んでいきましょう



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