今週のみことば


5月26日
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「アマツヤは25歳で王となり
29年間エルサレムで王位にあった
その母は名をヨアダンといい
エルサレムの出身であった
彼は主の目にかなう正しいことを行ったが
心からそうしたのではなかった」
(歴代誌下25章1-2節)

ヨアシュ王がアラム軍との戦いで重傷を負い
のちに家臣によって殺害された後は
その子アマツヤが王となりました

アマツヤは
神の律法を守ることには忠実でしたが
その心が神に向いているわけではなく
父ヨアシュが家臣に殺されたことについて
元はヨアシュに非があるのに
(ヨアシュが神の言葉に従わず
恩人である祭司の息子を殺した)
自分が王として国を掌握すると
この家臣たちを殺したのです

このように
アマツヤは形だけの信仰をしており
神の力を信じていなかったので
戦いに出るにあたって
自国の兵士の数を調べた後
イスラエル王国から10万人の勇士を
銀100キカルで雇い入れました

すると神の人が現れて
イスラエルの軍隊を同行させてはならないというのです
神はユダ国単独で戦うように示している
もしイスラエルが同行するなら
彼らは敵の前に敗れることとなると

「神には力があって
助けることも
くじくこともおできになります」(8節)


そこでアマツヤは
イスラエルから雇った10万人の勇士を解雇し
勇気を出して自分の軍隊だけで
セイル山へエドム人討伐に出かけ
勝利をおさめます

ところが
彼らは戦いから帰還した時
エドム人の神々を導入するというとんでもないことをしたので
神はアマツヤに対して怒りを発し
預言者を送りました
「あなたの手から自分の民を救えなかった神々を
どうしてあなたは求めるのか」(15節)

しかし
アマツヤはこの予言者の言葉を退けました
「あなたはこのような事を行い
またわたしの忠告も聞かない
それゆえ神はあなたを滅ぼそうと決められたことが
分かりました」(16節)


その後ユダの王アマツヤは
イスラエル王国に対して戦いを挑みます
イスラエルの王はアマツヤに
「あなたはエドムを打ち破ったと言って
思い上がり、うぬぼれている」(19節)

と言って
戦いを回避しようとしました
「しかしアマツヤはこれを聞き入れなかった
それは神の計らいによる
ユダの人々がエドムの神々を求めたため
神は彼らを敵の手に渡そうとされたのである」(20節)


その後ユダ王国はイスラエル王国に惨敗
エルサレムの城壁は破壊され
ユダ王国は大きな打撃を受けました
その時アマツヤは捕虜になったものの殺されず
やがて自国ユダに戻ってから
国内に謀反が起き
最終的に殺されるのです

さて、このアマツヤ王という人は
信仰が形だけになっており
実際には神よりも人を頼る王でしたが
結局、最後まで心が神に向かないまま罪を犯し
その不信仰ゆえに
自ら災いを招きました

アマツヤに対して
神は預言者を通して何度も忠告するのですが
彼は神の心がわからず
わかろうともせず
戦いに勝利すれば思い上がり
自分が強いと勘違いしてしまいました
そして
敵国の神を自国の神とするのです
彼もまた
ここまでの王たちと同様に
国が強くなると神から心が離れていき
このように偶像に走るのでした

真の神が味方でいてくださる国には
誰も勝つことはできないと
神の民であるユダの人々はよく知っているはずであり
神ご自身も
何とかして人々の目を神に向けるように
チャンスを作ってくださるのですが
こうして人はすぐに傲慢になり
神から離れていくのです

わたしたちの信仰生活においても
神から求められているのは
律法を守るという形だけの熱心ではなく
神の心を知り
その心に習った生き方を実践すること

「あなた方が召されたのはこのためです
というのは
キリストもあなたがたのために苦しみを受け
その足跡に続くようにと
模範を残されたからです」
(ペテロの第一の手紙2章21節)


「それから弟子たちに言われた
『わたしについて来たい者は
自分を捨て、自分の十字架を背負って
わたしに従いなさい
自分の命を救いたいと思う者は
それを失うが
わたしのために命を失う者は
それを得る
人は
たとえ全世界を手に入れても
自分の命を失ったら
何の得があろうか
自分の命を買い戻すのに
どんな代価を支払えようか』」
(マタイによる福音書16章24-26節)


自分の思いを捨てられず
神の思いを退けた王様たちは
国は豊かになり、強くなっても
自分の命を救うことはできませんでした

神による救いの目的は
人間が経済的に豊かになって
自分を誇ることではありません
人はしばしばそれを目的として信仰しますが
そういう人は
大切なことがわからないままです

わたしたちが幸いな人生を送るために大切なのは
神の心を知り
そこに自分を合わせていくこと
それぞれが自分の十字架(試練)を背負いつつも
それを神に近づく機会としてとらえ
いかに歩むべきかを
聖書を通して教えられていきましょう



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