今週のみことば
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6月2日
「ウジヤは16歳で王となり
52年間エルサレムで王位にあった
その母は名をエコルヤと言い
エルサレムの出身であった
彼は、父アマツヤが行ったように
主の目にかなう
正しいことをことごとく行った
神を畏れ敬うことを諭したゼカルヤが
生きている間は
彼も主を求めるように努めた
彼が主を求めている間
神は彼を繁栄させられた」
(歴代誌下26章3-5節)
ウジヤの父アマツヤは
神の律法を守ることには
忠実でしたが
その心が神に向いているわけでは
ありませんでした
そしてアマツヤの子ウジヤも
父に習って
”主の目にかなう正しいこと”を行う人でしたが
そのバックには預言者ゼカルヤついており
ゼカルヤの導きによって
ウジヤが神を求める間は
神はウジヤを助けたので
ユダの国は大いに繁栄します
ところが
国が豊かになり、強くなり
ウジヤ王の名声が
遠くまで及ぶようになると
彼は思い上がり
神に対して罪を犯すようになりました
「ウジヤは、神の驚くべき助けを受けて
勢力ある者となり
その名声は遠くにまで及んだ
ところが
彼は勢力を増すとともに思い上がって堕落し
自分の神、主に背いた
彼は主の神殿に入り
香の祭壇の上で香をたこうとした」
(15-16節)
香の祭壇を香をたくのは
アロンの子孫の祭司にのみ
与えられた務めです
そのことを王に伝えるために
祭司アザルヤは
80人の祭司と一緒に王の前に立ち
王の行動を阻止しようとしました
しかし
ウジヤ王は
悔い改めることなく祭司に怒りをぶつけます
すると
彼の額にはらい病が現れました
「主が彼を打たれたからである」(20節)
こうしてウジヤ王は
死ぬまでその病気に悩まされ
隔離された家に住むこととなったのです
そして
ウジヤの代わりにその子ヨタムが国を治め
ウジヤの死後は彼が王となりました
さて
今回登場した王も
今までの王たちと同様に
最初は神に従っていても
(最初から従う気のない悪王もいましたが)
国が豊かになり強くなると
神を離れて罪を犯しました
どうしてこうも同じことが繰り返されるのかと
読む側からすると
ただ呆れるばかりの内容ですが
この「心変わり」は
わたしたちにとっても無縁ではないことを
こうして繰り返し警告されているのでしょう
ウジヤ王は
神の助けを受けて富と名声を得ました
彼がこうして神の助けを体験しながら
なぜ神に背くのかというと
そういう方向に人を導く者(サタン)が
いるからです
つまり
人が思い上がると
その心はサタンに捕らえられ
やがて神を離れます
人はそういう弱さを持っているので
預言者ゼカルヤが
そこを正しく導いてくれている間は
ウジヤの心も神に向いていたのが
導く者がいなくなれば
たちまち迷ってしまった、、、
それでも
ウジヤに神に対する畏敬の念があれば
まだ祭司アザルヤの言葉も
聞き入れたでしょうが
すでに彼にはそういう思いはなく
もはや自分が何をしても許される
神のごとき立場になったように
思いあがってしまったのでした
人は自分の力で生きているようで
実は
神のあわれみによって生かされています
自分の命は自分の物のようで
実は神によって支配されていることを
思いあがっている人にはわかりません
その状態を正直に教え
正しく導いてくれる預言者の存在は
信仰生活においてはとても重要です
現在では
その役割を
教会が担っているわけですが
信仰するにあたり
教会へ行かなくても
自分で祈っていればいいのではないか?
という考え方もあります
しかし
現実には
自分で自分の心の状態を判断し
それを正しく導くのは
かなり困難なことだと言えるでしょう
かつて神を畏れていたはずの心も
目先の悩みが解決されれば
いつの間にか神の助けを忘れ
その働きを
自分の力によるものと思い違いをし
やがて自分の力を誇り
人の力に頼って生きて行こうとする
そのような信仰者の過ちは
今も繰り返されています
人は知らないうちに傲慢になり
自分の立場をわきまえず
自分は正しいと信じ
その間違った行動が
最後に自らの滅びを招くことに
気づいていません
自分はここまで大きくなったから
もう神さまなんかいらない、、、
歴代誌の王たちの状況は
この繰り返しです
そして
それを読むたびに
わたしたちは
その心がどこに向いているのかを
自らに問いかけてみましょう
<目次