今週のみことば


6月23日
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「ヒゼキヤは25歳で王となり
29年間エルサレムで王位にあった
その母は名をアビヤといい、ゼカルヤの娘であった
彼は、父祖ダビデが行ったように
主の目にかなう正しいことをことごとく行った」
(歴代誌下29章1-2節)

ヒゼキヤの父アハズは
神に従わない悪王でしたが
その子ヒゼキヤは
主の目にかなうことを行う正しい王でした

彼の母アビヤの父親は
26章5節に記された預言者ゼカルヤで
当時ウジヤ王に対して
神を畏れ敬うことをさとした人でしたから
当然自分の娘にも
正しい信仰を教えていたはずです
ですから
アビヤの夫であるアハズ王は神に従わなくても
その子ヒゼキヤは
母親の信仰(教育)ゆえに
神の前に正しい歩みをする王となったのでしょう

「その治世の第一年の第一の月に
ヒゼキヤは主の神殿の扉を開いて修理し
祭司とレビ人を連れてきて
東の広場に集め、言った
『レビ人よ、聞け
今、自分を聖別し、先祖の神、主の神殿を聖別せよ
聖所から汚れを取り去れ
わたしたちの先祖は不忠実で
わたしたちの神、主の目に悪とされることを行った
彼らは主を捨て
主の幕屋から顔を背け
これに背を向けた
また彼らは前廊の扉を閉じ
ともし火を消し
聖所でイスラエルの神に香をたくことも
焼き尽くす献げ物をささげることもしなかった
主はあなたたちがその目で見たように
ユダとエルサレムに対して怒り
彼らを人々の恐れと驚きとあざけりの的とされた
見よ、わたしたちの先祖はそのために剣に倒れ
息子も、娘も、妻も、捕虜にされた
今わたしは
イスラエルの神、主と契約を結ぶつもりである
そうすれば、主の怒りの炎がわたしたちから離れるであろう
わが子らよ
今このとき怠けていてはならない
主があなたたちをお選びになったのは
あなたたちが御前に出て主に仕え
主に仕える者として香をたくためである


ソロモンの時代に神殿が建てられて以来
ここまでの長い年月の間には
神殿の中の様子はずいぶん変わってしまいました
神殿の中に当然あるべき
信仰の「ともし火」は消され
神をあがめるための「香」はたかれなくなり
罪の許しを乞うための「燔(はん)祭」も行われない
これらは
信仰の堕落を象徴し
この神への裏切りがユダ国を没落させたのだと
ヒゼキヤは
祭司とレビ人を集めて告げています

こうして
ヒゼキヤ王は即位してすぐに
まず神殿の扉を修復し
レビ人たちに命じて
神殿の中に置かれていた雑多なゴミ(偶像)を捨てさせ
神殿を本来あるべき姿に整えていきました

本来の任務に復帰したレビ人たちは
まず自分たちを聖別し
神殿の内部を清め
焼き尽くす献げ物(燔祭)の準備をします
今まで自分たちが犯してきた罪が許されるために
ヒゼキヤ王は町の責任者を集めて神殿に上り
そこで
長い間行われなかった燔祭が再開されるのでした

ここまで
ユダ王国には様々な信仰感を持った王が登場し
多くの王は
困った時には神に頼り
自分が強くなると神を忘れて堕落していきました
その中には
ヒゼキヤの祖父であるヨタムのように
生涯、”主の目にかなう正しい行い”をした王もいましたが
彼とて
主の神殿に入ることはせず
民の心を神に向かせることもしていません
また
形式的には信仰を保っているようで
実はその心は神に向いていなかった王もいます
そんな中で
ヒゼキヤは
ダビデの時代の信仰を取り戻すべく
まず聖所から汚れを取り去り
レビ人に自分たちの任務を思い出させ
神に対する思いを新たにして信仰を立て直す
根本的な改革に乗り出しました

人間の内側には”雑多な思い”があり
その同じ口から
神をほめる言葉も
神をけなす言葉も出てきます
人の心は移ろいやすく
”雑多な思い”を取り除かないと
間違いを正しいと思い込み
本当に正しい道を見失ってしまう、、
それは今回のように
”雑多な偶像”が持ち込まれた神殿と同じ状態ですから
まずは
神に対する信仰を取り戻し
不要な思いを取り除いて
信仰を立て直すことが重要です

歴代の王たちが
形だけの信仰をしてきたように
わたしたちが
たとえ欠かさず教会に通っていようとも
その心が神に向いているかどうかは別問題です

ヒゼキヤ王が
原点に立ち返って信仰を立て直そうとする姿勢に習い
わたしたちも常に自分を省み
雑多な思いを取り除くべく
祈って進んでいきしょう



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