今週のみことば


7月7日
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「急使は王と高官が託した書簡を持って
すべてのイスラエルとユダを巡り
王の命令通りこう言った
『イスラエルの人々よ
アブラハム、イサク、イスラエルの神、主に立ち帰れ
そうすれば主は
アッシリアの王の手を免れて生き残った人々
あなたたちに帰ってくださる
先祖の神、主に背いたあなたたちの
父たちや兄弟たちのようになってはならない
あなたたちの見るとおり
主は彼らを滅ぼされた
先祖のように強情になってはならない
主に服従し、とこしえに聖別された主の聖所に来て
あなたたちの神、主に仕えよ
そうすれば
主の怒りの炎もあなたたちから離れるであろう
もしあなたたちが主に立ち帰るなら
あなたたちの兄弟や子供たちは
彼らを捕えて行った者たちの憐れみを受け
この地に帰って来ることができるであろう
あなたたちの神、主は恵みと憐れみに満ちておられ
そのもとにあなたたちが立ち帰るなら
御顔を背けられることはない』」

(歴代誌下30章6-9節)

ヒゼキヤ王は即位してすぐに
長い間行われていなかった「燔祭(焼き尽くす捧げもの)」を復活し
つづいて「過越祭(除酵祭)」の復活を目指して
イスラエルとユダに使者をつかわし
エフライムとマナセには書簡を送ります

ヒゼキヤの父であるアハズ王の時代に
ユダは神に背いたので
神の怒りによって
敵軍アッシリアの手に落ち
多くの住民が捕虜として連れていかれました

今ヒゼキヤはそのことを悔い
神に立ち帰ることで
神のあわれみを受けることを望んでいます

”先祖のように強情になってはならない”

イスラエル王国のエフライムとマナセでは
そう告げて回る使者に対して
あざ笑う人々もいましたが
中には謙虚になって
エルサレムにやってくる人々もいました
また
その頃ユダ王国では神が働き
人々の心が一つにされたので
「過越祭(除酵祭)」の復活が実現することになったのです

この「過越祭(除酵祭)」とは
かつてエジプトで奴隷状態であったイスラエル人が
神の助けによってエジプトから出たことを記念するもの
これを復活させるのは
神への感謝の心を新たにするためでもありました

ところが
エフライム、マナセ、イサカル、ゼブルンといった
イスラエル王国の人々は
自分を聖別していない者が多く
”聖所の清めの規定”に従わないまま「過越祭のいけにえ」を食べたので
ヒゼキヤは彼らのためにとりなしの祈りをします
彼らは規定には従わなかったが
主を求めようと決意してここに来たのです・・・と

神はその祈りを受け入れ
民を癒されました
その後、エルサレムでは
7日間の「過越祭(除酵祭)」が行われ
毎日神への賛美が続きます

更に
「和解のささげもの(酬恩祭)」も復活し
ここまで神への奉仕に尽力したレビ人たちは
ヒゼキヤによって励まされ
先祖の神に感謝しつつ祭りの食事にあずかりました

こうして
ユダ王国の全会衆と
祭司たちとレビ人
イスラエル王国から来た全会衆
イスラエルの地から来た寄留者
ユダに住む者が
この祭りを共に喜び祝ったのでした

これはソロモン王の時代以来の事であり
祭司たちとレビ人は立ち上がって民を祝福し
その祈りは天にまで達したと記されています

ヒゼキヤ王は
今のユダとイスラエルは
神に背いたため
苦境に立たされていることを知っていました

彼はまず神殿を片づけることに着手し
神をあがめるにあたって「不要なモノ」を処分しました
それは
信仰者にとって
信仰を邪魔する「自分の思い」でもあります
その上で
神が定めた正しい儀式(信仰心)を復活させ
神の力を頼りにして改革に乗り出しました

こうすることで
ヒゼキヤが願ったのは
神が”あなたたちに帰ってくださる”ことです
すべての祝福の基は神にあり
その神が離れてしまったので
自分たちは悩みのうちに置かれている
それを回復するためには
”先祖のように強情になってはならない”
そう説得する言葉を
バカにする人もいましたが
謙虚に受け止める人もいました

神の前に出る時
謙虚であることは一番重要なことです
神は心を見る方なので
ヒゼキヤの一生懸命な信仰は
神に受け入れられていくのでした



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