今週のみことば


8月4日
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「そのころ、ヒゼキヤは病にかかり
死にそうになった
彼が主に祈ったので
主は彼にこたえ、しるしを与えられた」

(歴代誌下32章24節)

このヒゼキヤの病気については
列王記下20章に詳しく記されています
預言者イザヤによって死を宣告されたヒゼキヤは
泣いて祈りました
するとイザヤに対して神の言葉が下ります
それは
ヒゼキヤの寿命を15年延ばすことと
3日目に主の神殿に上ることができるというものでした

「イザヤが『干しいちじくを取って来るように』と言うので
人々がそれを取って来て患部に当てると
ヒゼキヤは回復した」
(列王記下20章7節)


こうして死に病が癒されたヒゼキヤは
自分が3日目に主の神殿に上れることを示す「しるし」を求めます
するとイザヤは
”アハズの日時計の影が十度進むか十度戻るか”によって
神の約束が実現されることが分かると告げました
そこでヒゼキヤが”十度戻る”ことを求めると
神は本当にそのようにして下さいました

「しかし、ヒゼキヤは受けた恩恵にふさわしくこたえず
思い上がり
自分とユダ、エルサレムの上に怒りを招いた
ヒゼキヤはエルサレムの住民と共に
思い上がりを捨ててへりくだったので
その時代に彼らが主の怒りに襲われることはなかった」
(歴代誌下32章25-26節)


そのころ、ヒゼキヤの病気を知ったバビロンの王は
お見舞いの手紙と贈り物を持った使者をつかわしました
ヒゼキヤは使者たちを歓迎し
金や銀など宝物庫にあるものすべてと
武器庫、倉庫にあるものをすべて彼らに見せます
当時ヒゼキヤは非常に祝され
多くの財産を持っていたので
それを自慢したくなったのでしょう

このバビロンよりの使者が送られてきた時
神はヒゼキヤの心を見るために
これがワナであることを知らせませんでした
そうとは知らないヒゼキヤは
神によって与えられた財産を
自分の物のように見せびらかすのです

このヒゼキヤの思い上がった行動の後
これから何が起こるのかを
イザヤはヒゼキヤに預言します

「王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが
ことごとくバビロンに運び去られ
何も残らなくなる日が来る、と主は言われる」
(列王記下20章17節)


これは
やがて起こる『バビロン捕囚』の預言です
それでもこれを聞いたヒゼキヤは
「自分の在世中は平和と安定が続くのではないかと思っていた」(19節)
と記されていますから
自分が生きている間が安泰なら良い・・・と思っていたようです

即位した当時は
神の前に正しいことを行ったヒゼキヤも
こうして晩年は神への感謝を忘れ
思い上がってしまいました

統治者は敵国に対して
決して自国の国力を見せてはいけませんが
人はどうしても自分を誇りたくなるので
その弱さがここに現れています
それでも
今の自分があるのは
神が祝してくださったおかげだということを忘れなければ
このような思い上がりはなかったでしょう
ましてや彼は
死に病も癒されたというのに
それさえも忘れてしまったのでしょうか、、、



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