今週のみことば
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8月11日

「マナセは12歳で王となり
55年間エルサレムで王位にあった
彼は主がイスラエル人の前から追い払われた
諸国の民の忌むべき慣習にならい
主の前に悪とされることを行った
彼は父ヒゼキヤが取り壊した
聖なる高台を再建し
バアルの祭壇を築き、アシャラ像を造った
更に彼は天の万象の前にひれ伏し
これに仕えた」

(歴代誌下33章1-3節)

ヒゼキヤの死後は
まだ12歳の子どもであったマナセが
王となりました
マナセは
父ヒゼキヤの信仰の行為を見て育ったはずですが
なぜかそれをすべてくつがえし
神の目に悪とされることを行います

「マナセはユダとエルサレムの住民を惑わし
主がイスラエルの人々の前で
滅ぼされた諸国の民よりも
更に悪いことを行わせた」(9節)


そこで神の怒りがマナセに下り
アッシリア軍によって彼は捕えられ
足かせにつながれて
バビロンに連れていかれるのでした

「彼は苦悩の中で自分の神、主に願い
先祖の神の前に深くへりくだり
祈り求めた
神はその祈りを聞き入れ
願いをかなえられて
再び彼をエルサレムの自分の王国に戻された
こうしてマナセは
主が神であることを知った」(12-13節)


敵に捕らわれの身となったマナセは
苦しみの中で改心し
神に助けを求めます
すると愛の神はその願いを聞き入れて
彼をもとの状態に戻してくださいました
助けられたマナセは
その後、自分が持ち込んだ偶像を廃棄し
ヒゼキヤの時代のような信仰を
復活させます

経験したことのない苦しみの中に置かれ
そこから助けられることで
”マナセは主が神であることを知った”
わけですが
もし彼が厳しい所に置かれなければ
神がどのような方であるかを
マナセはわからない(実感できない)ままでした

このように
つらく厳しい所を通されて
真の神を知ることができるのは幸いです
人間は何も問題がないと
なかなか神の助けを
実感することができません
厳しい目には誰も会いたくはありませんが
どうにもならないところから
救い出される有難さは
「神は本当に生きておられる」ことを
わたしたちに実感させてくれるのです

マナセの改心を見ると
上手くいかない時こそ
自分が変わるチャンスであることがわかります
彼はその時
神の前に自分の間違いを認め
心からへりくだりました

一方
洗礼と聖霊を受けたクリスチャンであっても
自分に得になることばかりを祈り求めていくのは
常に自分が正しいと信じる人の生き方で
そこに改心がなければ
内側に偶像を抱えたまま信仰しているのと同じです

「あなたがたは、自分が神の神殿であり
神の霊が自分たちの内に住んでいることを
知らないのですか
神の神殿を壊す者がいれば
神はその人を滅ぼされるでしょう
神の神殿は聖なるものだからです
あなたがたはその神殿なのです」
(コリント人への第一の手紙3章16-17節)

「知らないのですか
あなた方の体は
神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり
あなたがたはもはや
自分自身のものではないのです
あなたがたは代価を払って買い取られたのです
だから、自分の体で神の栄光を現しなさい」
(コリント人への第一の手紙6章19-20節)


救いを受けて「神のもの」となったからには
自分自身を神殿として
その中から偶像(間違った思想)を
排除していかなくてはなりません
そのためには
間違いを認める潔さや勇気(信仰)が必要でしょう

マナセは神の目から見て
決して良い王ではありませんでしたが
彼の正しいところは
最後に悔い改めたことにあります
これまで登場してきた王たちの中で
最初はどんなに悪い王でも
後に悔い改めたという人はいませんでした

しかし
マナセの子どものアモンは
22歳で王になった時
父と同じように神の目に悪とされることを行い
生涯それを悔い改めることがなかったので
やがて彼の家臣が謀反を起こし
殺されてしまいます

自分を低くすることで
神を知るという恵みを得たマナセと
神がどういう方であるか知らないまま
滅びの道を歩んだアモン

わたしたちは
クリスチャンになったと言っても
神のことが
すべてわかっているわけではありません
ですから
様々な試練を通して
少しずつ
「神は生きておられる」ことを知るのです

マナセのように
神の前に数々の悪を行った王にさえも
恵みを与えてくださる愛の神は
心から助けを求める者を
捨て置かれるはずがありません
自分自身が神の宮であることを自覚し
希望を持って歩んでいきたいものです



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