今週のみことば
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8月25日

「ヨヤキム(エホヤキム)は25歳で王となり
11年間エルサレムで王位にあった
彼は自分の神
主の目に悪とされることを行った
その彼を
バビロンの王ネブカドネツァルが攻めてきて
青銅の足かせをはめ
バビロンに引いて行った
ネブカドネツァルは
主の神殿の祭具類もバビロンに持ち帰り
バビロンにある彼の宮殿に納めた」

(歴代誌下36章5-7節)

ヨシヤ王の死後
彼の子ヨアハズ(エホアハズ)が
23歳で王となりましたが
彼は在位わずか3か月で
エジプトに連れていかれ
代わりに兄弟のヨヤキム(エホヤキム)が
ユダの王になりました

ところがヨヤキムは
神の目に悪とされることを行ったので
やがてバビロンへと引き行かれます
その時バビロンの王ネブカドネツァルは
神殿の祭具類まで持って行ってしまいました

その後は
ヨヤキムの子ヨヤキン(エホヤキン)が
8歳で王になりますが
側近たちが悪かったのでしょう
彼も神の目に悪とされることを行い
在位3か月と10日でバビロンへ連れていかれます
そしてヨヤキンの兄弟ゼデキヤが
ユダ国最後の王となるのでした

「ゼデキヤは21歳で王となり
11年間エルサレムで王位にあった
彼は自分の神
主の目に悪とされることを行い
主の言葉を告げる預言者エレミヤの前に
へりくだらなかった
彼はまた
神の名にかけて彼に誓わせた
ネブカドネツァル王に反逆し
強情になってその心をかたくなにし
イスラエルの神、主に立ち帰らなかった
祭司長たちのすべても民と共に
諸国の民のあらゆる忌むべき行いにならって
罪に罪を重ね
主が聖別されたエルサレムの神殿を汚した
先祖の神
主は御自分の民と御住まいを憐れみ
繰り返し御使いを彼らに遣わされたが
彼らは神の御使いをあざ笑い
その言葉をさげすみ
預言者を愚弄(ぐろう)した
それゆえ
ついにその民に向かって主の怒りが燃え上がり
もはや手の施しようがなくなった」
(11-16節)


預言者の忠告を無視し
神から遣わされた御使いまでもバカにした
ゼデキヤ王と民には
悲惨な末路が待っていました
彼らの多くは殺され
あるいはバビロンに連れていかれて
エルサレムは陥落
神殿は火で焼かれるのです

このように
ヨシヤ王の後に即位した王たちは
みな神の目に悪とされることをして
自ら滅びを招いていきました
特に最後のゼデキヤ王は
預言者や御使いを通して
何度も忠告を受けながら
全く聞く耳を持ちません
彼は最後まで神の前にへりくだることがなく
そのため神の知恵も与えられず
どんなに困っていても
それでもなお悔い改めませんでした

教会には様々な相談事が持ち込まれますが
物事が上手くいっていないにもかかわらず
なお自分の考えを通そうとする人は
かなりあります
こういう人にとって
自分の中にいる王さまは自分自身であり
そこには神の言葉が入る余地はありません

本来、信仰者にとっての王さまは神ご自身です
神がわたしたちの王であり
人生のすべてを支配しておられる
そう考えるのが”神の前にへりくだる”ということ
そして
そこが自分の望む道ではないにしても
”神と共に歩む”ことが
”神に従う”ということです

この歴史的にも有名な『バビロン捕囚』から70年後
バビロンを征服したペルシア帝国の
キュロス(クロス)王によって
イスラエルのエルサレム帰還命令が下されます
それは
エレミヤの預言が成就するために
神がキュロス王の心を動かされたのでした

イスラエルの民が
エルサレムに神殿を建て直すにあたり
キュロス王は言いました
「あなたたちの中で主の民に属する者は
誰でも上っていくがよい
神なる主がその者と共にいてくださるように」
(23節)


”神が共にいてくださる”
この言葉は何でもないようで
実際にどれほどの大きな意味があるかを
”神の助け”を体験した人は知っています
これはむしろ
体験しなければわからないともいえるでしょう

何事をなすにも神の導きに従い
神が共にいてくだされば
どんなことが起きても(それがたとえ悪い事でも)
その先の人生が
ダメになってしまうことはありません

すべてが滅びてしまったように見えても
70年後にエルサレムが建て直されていくように
神のご計画は
わたしたちの上においてもずっと続いています
そして
わたしたちはそこにあって生かされ
恵まれていくように
心を新たにして歩んでいきたいものです


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