今週のみことば


9月22日
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「預言者ハガイとイドの子ゼカリヤが
ユダとエルサレムにいるユダの人々に向かって
その保護者であるイスラエルの神の名によって預言したので
シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イシェアは立ち上がって
エルサレムの神殿建築を再開した
神の預言者たちも彼らと共にいて、助けてくれた」
(エズラ記5章1-2節)

エルサレムの神殿再建工事が中止されてから18年後
預言者ハガイとゼカリヤに神が臨み
工事再開が命じられました
この言葉を聞いた建築責任者のゼルバベルとイシェアは
預言者たちの助けを得て工事を進めます
その時には
以前のように
サマリヤ人等ユーフラテス西方の民の妨害がありましたが
神の助けにより工事は順調に進み、完成が近づいていました

この事について
工事を妨害する者たちから
ダレイオス王に対して報告がなされます
エルサレムにおいてはすでに神殿建築が進んでおり
これを誰が許可したのかと問えば『キュロス王の命令だ』と言うが
過去にその命令が本当にあったのかどうか
王宮の記録を調べてほしい・・・と

「そこでダレイオス王により命令が出され
バビロンにある記録保管所が調べられ
メディア州の都エクバタナで一つの巻物が見つかった
それには、このように記されていた
『覚書。キュロス王の第一年、キュロス王、勅令を発布
エルサレムの神殿、いけにえをささげる場所として
以前の基礎を保ったまま、神殿は再建されなければならない
建物の高さは60アンマ、間口は60アンマとする』」
(エズラ記6章1-3節)


ここで
キュロス王による
エルサレムの神殿再建命令の記録が見つかりました
その中には
建物の具体的な大きさも記され
更には
建築費用は国庫負担とし
ネブカドネツァル王によって奪われた金銀の祭具類も
エルサレム神殿に戻すよう命じられていたのです

そのため
建築を妨げようとしていたユーフラテス西方の民は
じゃまするどころか
神殿建築財源として自分たちの税金を使い
必要な物資も差し出して
建築に協力しなくてはならなくなったのでした

こうしてダレイオス王の治世第6年に神殿は完成し
そこで「過越祭」が行われる時には
捕囚の地から帰ってきたイスラエル人のみならず
イスラエルの神を求めて集まった諸国の民も
「過越しのいけにえ」にあずかることができたのです

こうして
18年の工事中断を経て
建築再開から4年で神殿は完成したわけですが
敵の妨害の中にあっても
建築を再開したのは
そこに神の力が働き
なおかつ人々が神の言葉に従ったからです

建築再開の預言については
ハガイ書とゼカリヤ書に記され
それを聞いた建築責任者のゼルバベルとイシェアは
神の力を信じて立ち上がります
その信仰に基づく行動が
やがてキュロス王の命令の確認へと発展し
改めてダレイオス王から建築再開命令が出たので
敵はもはや妨害のしようもなくなりました

「この新しい神殿の栄光は、昔の神殿にまさると
万軍の主は言われる
この場所にわたしは平和を与えると
万軍の主は言われる」
(ハガイ書2章9節)


人間は誰も自分の人生の行く末を知りませんが
自分自身が神殿として
神と共にある者の信仰の行く末については
それは必ず幸いなものになるとの預言があります

「わたしのための聖なる所を彼らに造らせなさい
わたしは彼らの中に住むであろう」
(出エジプト記25章8節)

「また、わたしはイスラエルの人々のただ中に宿り
彼らの神となる
彼らは、わたしが彼らの神、主であることを
すなわち彼らのただ中に宿るために
わたしが彼らをエジプトの国から導き出したものであることを知る
わたしは彼らの神、主である」
(出エジプト記29章45-46節)


神は、出エジプトの旅を通して
数多の奇跡をイスラエル人に経験させ
ご自身が真の神であることを何度も示されました

そして
その神の恵みはイスラエル人ばかりでなく
エルサレム神殿再建完了の時には
偶像信仰を捨て
イスラエルの神を信じるようになった異邦人にも及び
共に過越祭にあずかって喜びました
彼らは神の働きによって神殿建築を支援させられましたが
そこに大いなる喜びも与えられたからです

更に、今の時代は
神を信じる異邦人にも聖霊が与えられ
自分の内側に聖なる所を持つことができるようにされています
元は神を知らなかった異邦人も
神に立ち帰る(悔い改める)ことで
イスラエルの民と同じ祝福にあずかる者とされ
聖霊の導きによって
正しい歩みをする(教えられる)者とされたのでした

そういうわけですから
今どのような状況に置かれていても
聖霊の導きに従う信仰心を持って歩む時には
必ず道は開かれてきます

新しい神殿に平和を与えると約束された神は
神を信じ、助けを求める人に働き
この神がどのような方であるかを
ご自身の働きを通して教えてくださるでしょう

それはエズラの時代から今に至るまで
変わらない神の約束であり
わたしたちもその神を信じるならば
目先のことで常にイライラするよりも
神にあっていかに穏やかに歩むかを考え
希望を持って正しい道へと踏み出すことができますように



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