今週のみことば
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10月5日
「パウロは、このテモテを
一緒に連れて行きたかったので
その地方に住むユダヤ人の手前
彼に割礼を授けた
父親がギリシア人であることを
皆が知っていたからである」
(使徒行伝16章3節)
前回から16章に入ってますが
その時にはふれなかった
「テモテ」についての記述を
ここでとりあげておきます
テモテはイエスを信じる弟子のひとりで
その母親はユダヤ人
父親はギリシア人でした
もし父親がユダヤ人であれば
彼はユダヤの律法に従い
「割礼」を受けていたでしょうが
父親が異邦人なので
受けていなかったようです
ところが
パウロは
宣教の旅にテモテを同行させるために
わざわざ彼に割礼を受けさせました
イエスの名によるバプテスマを受ける救いを
伝える彼らにとって
もはや割礼は
なんの意味もなく不要なものであっても
”その地方に住むユダヤ人の手前”
パウロはそのようにしたというわけです
弟子たちの宣教の旅は
すべて「聖霊の導き」によって
進められていますから
行く先々で
福音が受け入れられやすいように
そこには常に
「神の知恵」がありました
テモテの件も
クリスチャンから見れば
なぜ今さら割礼?とは思いますが
それもまた
聖霊の導きによるものであり
厳格な「律法の時代」とは違って
神の許しの内に、いろんな方法で
多くの人が福音を受け入れやすいように
配慮されたものであったようです
わたしたちが今
この日本で
伝道活動や信仰生活をするにあたっても
日本の風習(宗教)と
キリスト教の違いによる問題は
「律法の時代」のような信仰を
しようとすればするほど
難しいものとなるでしょう
そんな時に必要なのが「神の知恵」です
信仰は形や行為よりも「心」が重要なので
すぐに理解を得られなくても
あせらず急がず
「聖霊の導き」に従って
トラブルを起こさない
穏やかな信仰生活を
心がけていきたいものです
さて
ここからは前回の続きになりますが
占いの霊にとりつかれていた
女奴隷に対して
パウロがその悪霊を追い出したため
この女の主人たちは金もうけができなくなり
パウロたちを恨んで役人に引き渡しました
そして、何度もムチで打たれて
牢に入れられてしまうのです
「真夜中ごろ、パウロとシラスが
賛美の歌をうたって神に祈っていると
ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた
突然、大地震が起こり
牢の土台が揺れ動いた
たちまち牢の戸がみな開き
すべての囚人の鎖も外れてしまった」
(25-26節)
理不尽な目にあったパウロたちですが
ここで神の奇跡が起こります
この時、牢の看守は
囚人たちが逃げてしまったと思い込み
自殺しようとするのですが
パウロによって止められました
そして
看守は彼らに救いの道を求めます
「主イエスを信じなさい
そうすれば、あなたも家族も救われます」
(31節)
このあと、看守も家族もみな洗礼を受け
神を信じる者となりました
翌朝には、高官たちが下役を差し向けて
パウロとシラスを解放しようとします
ところが、パウロたちが
ローマの市民権を持っていると知ると
高官は彼らを恐れて、直接わびを言い
二人を牢から出したのでした
パウロとシラスの
”牢の中にあっても神を賛美し祈る信仰”は
すなわち
さまざまな問題があっても
それでも神に希望を置いて祈っていく信仰です
困ったことがあると
信仰してもつまらないと思う人が多い中で
それでも神を信じる人には希望があります
人間の力ではどうしようもないことも
神にあれば
問題の土台から動いて解決へと向かう
これは聖書に書いてあるだけでなく
実際の生活においても
本当に起こることだからです
最初に書いたように
クリスチャンの信仰生活とは
何か修行のような行動を求められるものではなく
信じる心に神が働いてくださるので
感謝し、希望をもって生きていくというものです
人生には問題が多く
そのたびに思い悩んだとしても
信仰を持つ人には希望があり、平安がある
これは人生にあって大きな強味なのです
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