今週のみことば


10月19日
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「パウロはアテネで二人を待っている間に
この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した
それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ
また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた
また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者も
パウロと討論したが、その中には
『このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか』
と言う者もいれば
『彼は外国の神々を宣伝する者らしい』
という者もいた
パウロが、イエスの復活について
福音を告げ知らせていたからである」
(使徒行伝17章16-18節)

アテネの人々には「イエスの復活」についての話が
「奇妙なこと」としてなかなか受け入れられませんでした
この町には偶像が多く
パウロの話も「外国の神々」の事だと思われたようです

そこでパウロは言いました
自分が伝えているこの神は
天地の創造主であり
人の造った神殿に住むような
人の手を借りなければならない偶像ではなく
すべての人に命と息と
その他すべてのものを与えてくださる」
方であり
「神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません」・・・と

「わたしたちは神の子孫なのですから
神である方を
人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と
同じものと考えてはなりません」((29節)


しかし
この話が「死者の復活」に及ぶと
人々はあざ笑ったので
パウロはその場を立ち去ります
それでも
パウロについて行き信仰に入った人も何人かいました

「このことについては
話すことがたくさんあるのですが
あなたがたの耳が鈍くなっているので
容易に説明できません」
(ヘブル人への手紙5章11節)


使徒たちが伝えているイエスの福音は
信じない人にはとても受け入れることができませんでしたが
その一方で
救いを求めている人には
希望を与えられるものでした

このように
信仰は求める人のためにあり
「探し求めさえすれば
神を見出すことができる」

使徒行伝17章27節には記されています

また
28節には
「我らは神の中に生き、動き、存在する」
とあるように
人はみな神によって生かされており
強いように見えても、実は弱く
自分の心をコントロールするには
神の助けが必要です

アテネの人々は信仰には興味があったようですから
イエスの復活のうわさも伝わっていたかもしれません
同じ話を聞いても
信じない人は信じないし
みんなが信じなくても
信じる人は信じる

イエスの名による救いは
人生の歩みを助けるものです
それを信じることのできる人は幸いです


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