今週のみことば


11月30日
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「役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも
あなたがたに伝え、また教えてきました
神に対する悔い改めと
わたしたちの主イエスに対する信仰とを
ユダヤ人にもギリシャ人にも力強く証ししてきたのです
そして今、わたしは”霊”に促されてエルサレムに行きます
そこでどんなことがこの身に起こるか
何もわかりません
ただ、、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは
聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています
しかし、自分の決められた道を走りとおし
また、主イエスからいただいた
神の恵みの福音を力強く証しするという任務を
果たすことができさえすれば
この命すら決して惜しいとは思いません」
(使徒行伝20章20-24節)

第三次伝道旅行を終えたパウロは
エルサレムに帰る前に
エペソの長老たちを呼び
これまで自分がどんな気持ちで
福音伝道を行ってきたかを話しています
そしてこれからもっと過酷な運命が待ち受けているとわかっていても
なお自分は与えられた道に従っていくのだと、、、

彼はユダヤ人の陰謀に苦しめられながら
それでも主イエスの福音を伝えることに努め
自分にできる限りのことをしてきました
元はと言えばキリストを迫害する立場であった者が
いきなりイエスご自身によって捕らえられ
キリストを伝える伝道者として用いられ
そのことがどれほど自分の人生に幸いであったかを知っているがゆえに
彼はここまで自分に与えられた使命を果たし
更に最後まで果し尽くそうとしているのです

今後もうエペソの教会にパウロが行くことはありませんが
長老たちには”群れの監督者”として
これから入って来るであろう”残忍な狼”から教会を守り
更には自分たちの信仰も曲がって行かないように
今まで語ったことを思い出してほしいと
パウロは切々と語ります

そして
最後は以下の言葉で締めくくられています

「わたしは他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません
ご存じのとおり、わたしはこの手で
わたし自身の生活のためにも
共にいた人々のためにも働いたのです
あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように
また、主イエス御自身が
『受けるよりは与える方が幸いである』
と言われた言葉を思い出すようにと
わたしはいつも身をもって示してきました」
(33-35節)


使徒行伝18章3節には
パウロの職業は”テント造り”であったと記されています
彼は仕事をしながら伝道旅行を続け
その間には、伝道を助けたいと思う賛同者も現れて
善意からの援助も受けたことでしょう
しかし彼がそれを強要したことはなく
それにわざわざ言及しているのは
これについて誤解し非難する人があったのかもしれません
それでも
パウロは自分のやってきたことを毅然として伝え
それがキリストの言葉によるものであることを
みことばを引用して語っています

『受けるよりは与える方が幸いである』
この言葉は
自分が得をすることが目的の”ご利益信仰”では
とても考えられない事でしょう
しかし
キリスト教における「救い」は
キリストの無償の愛によって与えられるもので
主イエスご自身が命を捨てて十字架にかかり
その血にあずかる洗礼と聖霊とのバプテスマを受ける
”救いの道”を備えてくださいました
クリスチャンはすでにそれを受ける機会を与えられ
更には
救われているが故の助けや恵みを多く体験しています
ただ、それを実感しているかどうかは
その人の感覚(信仰)によって異なり
どんなに恵みを与えられていても
自分の願い通りの人生でなければ
「自分には何もない」と思う人もあります
こういう人にとっては
願いはいつも”与えられる”ことですが
それでも
キリストの言葉を信じて行うクリスチャンであるなら
既に与えられている恵みに感謝し
それを今度は
他者に分け与える気持ちを持っていただきたいのです

「そして今、神とその恵みの言葉とに
あなたがたをゆだねます
この言葉は
あなたがたを造り上げ
聖なる者とされたすべての人々と共に
恵みを受け継がせることができるのです」(32節)


キリストの言葉に従う道は
救いを受けたクリスチャンが
神の恵みを受け継ぐにふさわしく”造り上げられる”
つまりは信仰的に成長することにつながります

初めは”与えられる”ことを目的として信仰したとしても
信仰が成長して
自分の受けた幸いを与える側になることを望むなら
相手にかける言葉も行動も変わって来るでしょうし
また
その心は自然と福音伝道へとつながるでしょう
福音伝道は
自分の名誉や利益のためにするものではありません
あくまでも他者の幸いのためにすることで
パウロたちがそうであったように
救いを求める人たちに伝えていき
求めていない人を無理に誘う必要はないのです

ここまでただ一心に
「主イエスに対する信仰」を伝え続けてきたパウロは
彼を信用してくれたエペソの教会の人々と別れ
エルサレムに帰っていきます
「自分の顔をもう二度と見ることはあるまい」と
彼自身が語ったように
ここへ戻ることはありませんでした
彼はこの先もただひたすら
聖霊の導きに自分の生涯をゆだねて進んでいくのです



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