今週のみことば


12月7日
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「幾日か滞在していた時
ユダヤからアガボという預言する者が下って来た
そして、わたしたちのところに来て、パウロの帯を取り
それで自分の手足をしばって言った
『聖霊がこうお告げになっている
”エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主を
このようにしばって異邦人の手に引き渡す”』
わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒になって
エルサレムには上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ
その時、パウロは答えた
『泣いたり、わたしの心をくじいたり
いったいこれはどういうことですか
主イエスの名のためならば
エルサレムでしばられることばかりか死ぬことさえも
わたしは覚悟しているのです』
パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので
わたしたちは『主の御心が行われますように』
と言って、口をつぐんだ」
(使徒行伝21章10-14節)

パウロがエルサレムに向かう前
聖霊が預言者を通じて
パウロはエルサレムで捕らえられると告げました
そのため周りの人々は
彼にエルサレムには行かないようにと頼むのですが
パウロはそれを決して受け入れようとしません
主イエスの名のためならば死ぬことも恐れない
その覚悟の言葉を聞いて
人々はそれ以上止めることはしませんでした

元はと言えばイエスを迫害する立場であったパウロは
ある日、突然イエスご自身によって捕らえられ
その心を180度変えられました
そんな奇跡を自ら体験した後は
”主イエスの名による救い”を伝える者となり
その力の素晴らしさをいよいよ知っていくと
もはや彼は以前もっていた自分の地位も名誉も
すべてどうでもよくなり
自分の命さえも惜しいとは思わなくなっていたのです

「七日の期間が終わろうとしていたとき
アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ
全群衆を扇動して彼を捕え、こう叫んだ
『イスラエルの人たち、手伝ってくれ
この男は、民と律法とこの場所を無視することを
至るところでだれにでも教えている
その上、ギリシア人を境内に連れ込んで
この聖なる場所を汚してしまった』」(27-28節)


エルサレムに着いたパウロは
”モーセから離れるように教えている(21節)”として
自分が非難されているとの報告を受けます
彼は”主イエスの名による救い”を受けた者に
もはや「割礼」は必要ないと教えていたので
モーセの律法をないがしろにしていると
大変な反感を買っていたのでした

そこで長老たちの勧めに従って
トラブルを避けるために
自分は律法を正しく守って生活している者だと
人々に思わせるように行動したのですが
その後
”この男は、民と律法とこの場所を無視することを
至るところでだれにでも教えている”
として
神殿の境内で捕らえられてしまいます

その騒ぎは大変大きくなり
やがて守備大隊の千人隊長が
兵士と百人隊長を率いてかけつけるまでになりました
そのおかげで
パウロに暴行を加えていた群衆は逃げていき
彼は弁明の機会を与えられるようになります

千人隊長はこの騒ぎの真相をつかもうとするのですが
群衆はあれこれ叫ぶばかりで
一体パウロがが何者で
何をしたのかさっぱり分からず
その上、パウロを殺そうと大勢の民衆がついてきたので
とりあえずパウロを助け出すために捕らえたのです

そして
捕らえられたパウロが
ギリシア語を話すのを聞いた千人隊長は驚きました
というのも
パウロは最近反乱を起こしたエジプト人だと誤解されていたようです
さらに
彼がローマの市民権を持つユダヤ人であると聞くと
彼の弁明の機会をすぐに許可しました
こうしてパウロは民衆に向けて
今度はヘブライ語で話し始めるのでした

神が行うと定めたことは
誰もとどめることはできません
パウロは聖霊が告げたとおり
エルサレムで捕らえられてしまいましたが
群衆がどんなにパウロを殺そうとしても
神は千人隊長を用いてパウロを助け出すのです

神がどういう方であるかを知っているパウロは
その命を神にゆだねました
これは”自分の考えを神に合わせる”ことを意味し
その信仰は神に喜ばれるものです

群衆があれこれ叫んで騒いでいたように
わたしたちの心のうちにも
色んな考えや不安が入り交じり
真のもの(神の考え)が何なのか
わからなくなることがあります
自分の思いが強い時には
どう説得されてもなかなか受け入れがたいものですが
神のご計画は
わたしたちの思いがどうであれ
着々と進んでいくことを思うと
”自分の考えを神に合わせる”ことは
一番幸いな道であることがわかるでしょう
そして
そのような歩みをする人を
神は喜んでくださるのです



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